恩智左近満一が築城した。正平3年(1348)四条畷で楠木正行が戦死したのと共に落城したという。
現在は公園となっており遺構は残っていない。高安山のすぐ麓で、町を見下ろせる位置にある。
十河一政(一存?)が築城した。天文18年(1549)細川晴賢と三好政長が籠る、
柴島城を三好長慶が攻め、城兵は榎並城へ敗走したという。
大坂夏の陣の頃、稲葉氏が城主であったらしいが、廃城の時期は不明。
現在、柴島神社が残っているだけで、遺構は何も残っていない。
石碑は少し離れた住宅地にある。
享禄4、5年天文元年(1532)頃、細川晴元と三好元長の争いの際に砦が築かれた。
その後、元亀元年(1570)三好三人衆が補修した。
野田・福島は信長公記では度々登場し、天正4年(1576)信長軍に落城され、
本願寺攻めの拠点となった。
現在は石碑のみならず、飲食店の看板の影に隠れるように立っていた。
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