豊臣家の時代に越後から転封された上杉家の後に堀家が入った。その際に、
春日山城でなく直江津に福島城を築いた。
現在は、古城小学校となっており、かつての遺構ははっきりしない。
上杉謙信の本城として有名。
現在でも遺構はかなりの大きさに及ぶ。それぞれの曲輪跡もあり、
現在は麓の辺りを復元しようとしているらしい。
堀家がお家騒動で改易となった後、家康6男の松平忠輝が入った。
福島城は洪水に襲われ易いせいなのか、内陸にある高田に築城された。
現在は櫓が復元されている。
上杉謙信の政庁。普段は春日山におらず、ここで政治を行った。
謙信の死後、景勝と景虎の間で跡目争いとなり、北条家から養子に入った、
景虎は御館で落城され滅亡し、その後、景勝が上杉家を率いた。
鎌倉時代に入部した加治氏の庶流である新発田氏の本拠であった。
天正年間(1573〜1592)重家の時に宗家を凌ぎ、上杉謙信の信望を担い外征に参陣した。
景勝の時に対立し、天正9年から7年間、新発田合戦が続き、最後は新発田城が陥落して、滅亡した。
慶長3年(1598)、加賀大聖寺から越後蒲原三郡6万石で溝口秀勝が古丸と呼ばれていた館跡に築城を着手した。
承應3年(1654)、2代宣直の頃に完成した。(現地入手説明文・大系より)
廃城後に陸軍省の歩兵第16連帯の兵営として使われ、今も陸上自衛隊が駐屯して、本丸と二ノ丸の約半分には入れない。
表門から、本丸の南側の一部には入れる。
表門は享保17年(1732)に再建された物、旧二ノ丸隅櫓は正徳2年(1712)までには再建されており、
昭和の解体修理の際に鉄砲櫓があった場所に移築されている。
平成11年に、三階櫓と辰己櫓が再建されている。
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