寛政7年(1795)に設置され、7万1千石の天領を支配する幕府の出先機関であった。
文久3年(1863)8月17日天誅組の義挙により焼討ちに遭い、元治元年(1864)10月に現在の位置に再建した。
(現地説明版より)
元来は現在の市役所がある位置にあったが、その後現在の位置に再建された。
入場時間を過ぎていたために中へは入れなかった。
南北朝の頃に、南朝方に属した二見氏の居城があった。
その後、筒井氏三家老の一人といわれた板倉重政が宇智郡に8千石、
慶長13年(1608)に1万石に加増され、この時に築城した。(大系より)
現在は妙往寺境内となり、西側に昭和55年に埋められたといわれる堀の痕跡が残る。
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