大村純忠の重臣で娘婿である長崎氏14代の甚左衛門純景の居館の跡に桜馬場中学校が立つ。 城を模したような片渕中学校の裏手に城址がある。最高地点辺りは巨石が目立ち、今は大きな祠がある。 城址というよりは宗教的な臭いが強い。南側に綺麗に積まれた石塁があるがこれは後世の物である。 それ以外にも石塁などあり、判断が難しい。
長崎七氏の真道氏により築城とされる。(『長崎県中近世城館分布調査報告書』より)
蛍茶屋駅から東側に住宅地を登り、回り込んでいくと舗装路が終わり、すぐに辿りつく。
東側に明確な土塁が残っているが、それ以外やや荒れ気味で、郭も削平が雑である。
建長7年(1255)上総国深堀の出である深堀能仲が承久の乱の武功により地頭として下向した。(現地説明板より)
江戸時代には佐賀藩の家老職となり、鍋島氏を称した。(『長崎県中近世城館分布調査報告書』より)
カトリック教会の裏手に石碑もあるのだが、なぜか入口を示す標識がない。
石塁らしいものが残っているが、当時の物だろうか。
このページの著作権は、作者に帰属します。 画像などの2次利用は御遠慮下さい。