伊勢・伊賀・志摩2



亀山城津城松阪城鳥羽城田丸城

亀山城

N34.51'22''71, E136.27'00''46
亀山市【最寄り駅】JR関西本線・紀勢本線亀山駅

文永2(1265)年に関実忠が現在の地でない所に築城。 元亀4(1573)年信長により、関盛忠が追放されるまで、 関氏16代の居城。城主が次々と代わった後、 延享元(1744)年に石川総慶が入ると、 そのまま石川家が城主のまま明治維新を迎えた。
現在、多聞櫓が残っている。公園の辺りに堀の跡がある。

亀山城1 亀山城2

津城

N34.43'03''32, E136.30'26''34
津市【最寄り駅】近鉄名古屋線津新町駅

信長の弟、信包により築城された。 その後、冨田氏が城主となった。 関ケ原の戦いで西軍の攻撃を受けたが、戦後、領主となった藤堂高虎により、 整備された。
現在は規模は縮小されているが、公園となっている。 堀と石垣が当時のまま残っている。

津城1 津城2

松阪城

N34.34'32''91, E136.31'30''19
松阪市【最寄り駅】JR紀勢本線名松線・近鉄山田線松阪駅

蒲生氏郷が会津若松に移る前、天正16(1588)年に築城した。 その後、服部一忠、古田重勝と城主が代わり、 元和5(1619)年紀州藩領となった。
現在は本居宣長の記念館(鈴屋)もある。 公園化され、石垣が多く残る、江戸期の城といったところである。

松阪城1 松阪城2 松阪城3

鳥羽城

N34.28'52''19, E136.50'39''58
鳥羽市【最寄り駅】JR参宮線・近鉄鳥羽線鳥羽駅

九鬼嘉隆により、8年かけて、文禄3(1594)年に完成された。 寛永10(1633)年、九鬼家の相続争いで、久隆が摂津三田へ、 隆季が丹波綾部に移封となった。 その後は、内藤、土井、松平、板倉、松平、 稲垣氏と城主が代わり明治維新を迎えた。
現在、城山公園、鳥羽小学校となり、本丸周辺に石垣が残る。

鳥羽城1 鳥羽城2

田丸城


玉城町【最寄り駅】JR参宮線田丸駅

延元元年(1336)、北畠親房が後醍醐天皇を迎えるために伊勢に下り、 築城した。その後、多気に本拠地とした北畠氏の支城となった。 天正3年(1575)北畠氏を嗣いだ織田信雄が、三層の天守閣を建てるなど改修した。 が天正8年(1580)火災で天守閣は焼失した。 江戸時代に入り、紀州徳川頼宣の家老久野宗成が城主となり、 久野家が代々城代を勤め、明治維新を迎えた。(現地案内板より)
本丸と南北2つの大きな曲輪を中心に構成されている。 現在神社のある北の丸(左2画像)の外側には、 戦国期の遺構か、巨大な空堀と土塁でここを囲繞している(左3画像)。 またその外側にも土塁と空堀(水も存在)でここを囲んでいる(最右画像)。 東側には大手門跡と水堀が残る。また南側には搦め手門が残る。

本丸手前 北の丸 土塁・空堀 北の丸石塁 本丸石塁 大外土塁・空堀

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