山城・丹波(京都)・丹後12



保津城請田砦

保津城

亀岡市【最寄り駅】JR山陰本線亀岡駅

下記、「請田砦」とともに保津付近の城として使用されたか。
搦め手口である簾戸口から入ると、数段切岸があり、東側には深い空堀が残る。 土橋のような箇所を抜け、高度を上げると、2重堀切の横に出る。 そこから下ると数段切岸がある。 また送電線のある尾根へ登るとこちらも切岸が続き、最高点に至ると、 背後の下には明智越えの道が走っている。


請田砦

亀岡市【最寄り駅】JR山陰本線亀岡駅

観応3年(1352)5月14日中津河秀家が北朝側について、「保津御敵城」を攻め落とし、 同8月にも「保津城」を焼き払った。 享禄4年(1531)5月細川晴元が、保津に籠城していた細川高国方の内藤彦七を討ち取っている。 (新修亀岡市史より)
請田神社脇から送電線の補修道を登っていくと、送電線のある尾根に出て、 そのまま尾根を突き詰めると、堀切と土塁の横に出る。 郭は数段連なって、主郭であろう最後部に至る。 さらに尾根を下って進むと1条堀切があるが、技巧的な作りもなく、南北朝か戦国期の陣城と推定されているのも頷けるところである。




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