薩摩・大隅2



鶴丸城舞鶴城富隈城加治木館加治木城

鶴丸城


鹿児島市【最寄り駅】JR日豊本線鹿児島駅

江戸時代になって島津家久(島津忠恒)が内城から本城を移して、 幕末まで本城であった。背後に城山を控えた政治用の城。 西南の役では政府軍に惨々に砲撃された。
現在でも西南の役の際の銃弾の跡が石塁に残っている。 鹿児島県歴史資料センター黎明館が城跡に存在する。

鶴丸城1 鶴丸城2 鶴丸城3

舞鶴城


国分市【最寄り駅】JR日豊本線国分駅

島津義久が富隈城から移り死去するまで在城。 この舞鶴城は島津の外城制による麓の1つ。 隼人城(現、城山公園)を本拠として政治は麓の舞鶴城で執られた。

現在は国分小が城跡である。石塁と堀が残っている。
舞鶴城1 舞鶴城2

富隈城


隼人町【最寄り駅】JR日豊本線・肥薩線隼人駅

島津義久によって築かれた。秀吉に降伏した後に鹿児島の本城である内城を出 て、この城に移った。この後国分の舞鶴城に移った。
現在は神社があったりするが、石塁や曲輪の跡は存在する。

富隈城1 富隈城2 富隈城3

加治木館


加治木町【最寄り駅】JR日豊本線加治木駅

島津義弘が隠居の城として入った。ここも加治木城の麓にあたる。 その後、18代藩主島津家久も住んだ。
現在は加治木高校、柁城小学校になっている。

加治木館1 加治木館2

加治木城


加治木町【最寄り駅】JR日豊本線加治木駅

肝付氏の居城。伊地知氏の侵攻があったが、島津氏の助けで落城を免れた。
現在は、民家や家畜小屋などがあったりして、遺構はそれほどはっきりしない。 ここも、加治木館の詰の城といったところである。外城の1つ。

加治木城1 加治木城2曲輪跡

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