日野宰相宗頼の子孫で武蔵国多西郡小川郷の小川氏の所領だった。
承久の変で小川小太郎季能は手柄を立て、甑島地頭となった。
季能の子、季直が下向し、後に上甑は塩田備前守に預け、下甑手打に住んだ。
文禄4年(1595)小川中務大輔有季は島津氏により、田布施高橋に移され、
曾木・酒匂氏を代官とした。
慶長16年(1611)本田伊賀守親政を移地頭に任じた。(現地説明版より)
公園化されており、主郭の裏手に石塁が残っていたが、当時のものかは定かでない。
麓の小学校が地頭仮屋跡である。
亀城と合わせて、「亀鶴城」と呼ばれ、鶴城は「古城(ふいじょう)」と呼ばれる。
(亀城現地説明版より)
墓と畑となっており、遺構ははっきりしない。
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