加賀・能登1



津幡城金沢城小松城大聖寺城穴水城

津幡城

N36.40'08''47, E136.44'32''80
津幡町【最寄り駅】JR七尾線本津幡駅

源平合戦の折、倶利伽羅峠の戦いを前に平家がここに拠った。 その後、上杉謙信の七尾城攻めの拠点となった。 前田家の時に、越中に対する備えとして利家の弟の前田秀継が入った。
その後廃城となった。


金沢城

N36.33'56''01, E136.39'37''27
金沢市【最寄り駅】JR北陸本線金沢駅

前田家加賀100萬石の本城。現在は石川門と石垣が残る。兼六園も近くにある。
平成13年8月現在では、今秋から行われる展示会が城内であるらしく、 城址の立ち入りが規制されている。


小松城

N36.24'35''19, E136.26'52''67
小松市【最寄り駅】JR北陸本線小松駅

3代目前田利常がここで隠居生活を送った。
現在は芦城公園となって、あまり遺構ははっきりしない。


大聖寺城

N36.18'29''83, E136.18'12''97
加賀市【最寄り駅】JR北陸本線大聖寺駅

一向一揆などの争乱の場となった。その後、戸次広正、拝郷家嘉、溝口秀勝、 山口宗永が領した。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの前哨戦で前田利長に攻められ落城した。 元和の一国一城令で廃城になった。
寛永16年(1639)に大聖寺藩が成立した後は、この城は入山禁止となって政務は、 麓でとられた。
遺構は入山禁止だった為か、良く保存されている。
19年振りに来たら、説明板が増え、かなり整備されて、草刈もされていた。
「コ」の字の錦城山の中心に主郭を置いて、左右に郭が展開されている。 時間がなく、西の丸や鐘が丸方面に行けなかったのが残念。




穴水城

穴水町【最寄り駅】のと鉄道穴水駅

長氏代々の城だった。貞治元年(1362)8代正連が荒屋城からここに移った。 天正4年(1576)11月上杉謙信により落城され、長沢光国を入れたが、 天正6年3月に謙信が病没し、8月に長連龍が奪回した。 しかし、11月に上杉氏の反撃に耐え切れず、落城し、越中守山城に逃げ、 天正8年4月に再び奪還した。 天正9年に前田利家に能登一国が与えられると、連龍は田鶴浜館に移り、 その後も利家に管理されていたようだが、ほどなくして天正11年以後に廃城となったようである。 (能登中世城郭図面集より)
現在は城山となり、主郭周辺は公園化されている。 西の港の方へ郭が数段残る。 能登中世城郭図面集によると、町役場から登ってくる道が大手だったとか。 主郭の東側に堀切が数条あったらしく、見逃してしまった。



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