平安時代末期に下河辺行平が築城したという。
享徳の乱後、鴻巣御所(古河公方館)に本拠を移した、
足利成氏がその後ここへ移った。以後代々、5代の義氏まで在城し、
その後、北条氏滅亡後は小笠原氏、土井氏など譜代の大名が入り、
土井家の時に明治維新を迎えた。
(茨城の城郭・関東の名城を歩く・現地観光ガイドブック、より)
現在は渡良瀬川の河川改修工事で大半は埋まってしまった。
本丸は堤防の上に碑があるのみで(左端画像)、
桜門跡(左2画像)、追手門跡(左3画像)、も然り。
獅子ヶ崎に土塁の一部が残る(左4画像)。古河歴史博物館の横に諏訪曲輪の土塁が残り(右2画像)、
また、近くにある福法寺には乾門が山門として現存している(右端画像)。
康正元年(1455)に関東公方の足利成氏が享徳の乱に伴い、鎌倉からここに拠点を移した。
その後、成氏はすぐ近くの古河城に移った。
(茨城の城郭・関東の名城を歩く、より)
現在は古河市総合公園内に御所沼に突き出た半島状の公方様の森として、
石碑の西側に堀切が、南側に土塁が残っている(中央画像)。
園内に徳源院跡があり、義氏達の墓がある。
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