結城氏の城。
現在は公園となっている。
結城秀康の領地の頃は城下町ではなかったが、その後、西尾氏などの城下町となった。
櫓門や櫓が遺構として存在する。画像の方は残念ながらカメラの能力不足のために
ほとんど見ることが出来ない。
現在は亀城公園となっている。
岡見氏により築城され、1590年岡見氏滅亡後、由良国繁の居城となった。
江戸期に入り、廃城となった。
現在は本丸を土塁で固め、二の丸、三の丸と堀切で守られてある。
が、管理がほとんど行き届いておらず、竹林と化してあるのは残念。
鎌倉時代に元々国府のあったここに、大掾氏が築城した。
秀吉の小田原征伐と並行して佐竹氏の攻撃に遭い、落城した。
その後、佐竹氏の支城となったが、関ケ原で西軍に組みした為に秋田に移封され、
六郷氏が入った。その後、松平氏に代わり陣屋を築いた。
現在は府中小学校となって土塁や陣屋の門が残る。
馬場氏が源頼朝に大掾に任ぜられ、この地を賜った。
240年の後、江戸氏が落城させた。
また秀吉の小田原征伐の際に佐竹義宣が落城させた。
その後、武田信吉、徳川頼宣、そして徳川頼房が入り、水戸藩となった。
現在2つの高校が跡に建てられ、門が残るくらい。
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