因島村上氏が15世紀初め頃に築城したと推測される。 因島村上氏の部将南通弘(彦四郎泰統)が燧灘を行く船舶から帆別銭・駄別銭を徴収するために金山康時を城番とした。 (大系・現地説明板より) 因島の南部、燧灘が見える位置にあり見晴らしが良い。 西側は果樹園となっている。守りの城でないためか凝った遺構は残ってないようである。
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