7:06京都発の『スーパーはくと』1号で倉吉まで。
指定席は取れなかったが、始発が京都駅であったため、
6:30前には自由席の待ちに並び、余裕を持って、確保できた。
倉吉まで3時間半以上もあるので、立ちっぱなしは辛過ぎる。
自由席はほぼ埋まった状態で、新大阪に入り、座れない乗客も多々。
少なくとも上郡以北でないと降りる客はいないだろう。
読書とうたた寝を断続的に繰り返しているうちに、
尿意を覚えた。通路にも辛そうに立っている乗客の顔を見ると、
それを押し除けてまで行くのも気が引けて、
しばらく我慢していたが、到着まで1時間以上もあるので、
失礼させてもらうことにした。
前方の1号車と2号車の間のWCまでには人が多いので、
後方の指定席の2号車増の方へ行った。
指定席側の通路は予想通り空いていて、比較的楽だった。
列車は鳥取でかなり乗客を降ろし、倉吉へ。
米子-鳥取間は高校時代に乗ったことがあるが、ほとんど記憶にない。
倉吉に着き、早速レンタサイクルしに観光案内書へ。
ここは無料なのが嬉しい。10台限定だが、大丈夫。
やや古い型のチャリだったがタダの代物に文句は付けることは滅相もないこと。
感謝して、打吹山へ。やや距離があるので、チャリでちょうど良いくらい。
天神川を渡るとすぐで、市役所の駐車場に停めたが、
なぜか車は満車でまだ列をなしていた。
早速、登る。公園化されていて麓近辺は見どころがない。
山頂近辺も始めこそがっかりしたが、東の方に堀切や石塁があり、
少し満足する。そこから少しマニアックな道を下ると、
どんどんマニアックになり、軽い薮漕ぎを要する羽目に。
なんとか神社の裏手に出て、チャリへ。
古い街並がここは有名なようだが、次の目的地、
田内城へ。小鴨川を渡り、オムロン工場の脇に駐車。
かなり昔に整備されたような急斜面の道を登り、
胡散臭い櫓へ。白塗りの漆喰壁の曲輪なんて、当時はなかったろうに。
これだけかと、多少がっかりして裏手に伸びる道を下ると、
わずかばかり遺構らしき切り岸があった。これで満足するしかない。
チャリに乗り、駅へ引き返す。
途中、古本屋を見付け、物色するも、収穫なし。
駅に戻り、予定の普通列車まで時間があり、ハガキを購入。
今回も祖母に送ることにする。
途中降りたい所があったが、如何せん、列車の本数が少ないので、
鳥取市で鳥取城を見て、YHの晩飯までに着くためには無理。
そのために代案を見付け、湖山で下車。
駅に近くの緑風高校の脇に天神山城があるので、そこへ向う。
手元にあるはずのWebのコピーを見るのも面倒なので、
勘を頼りに向う。無事到着。アブのような虫が多くて、懸念材料となる。
城址を見て、どのようにして鳥取駅に出るか思案し、
バスの便を探すが、それよりも鳥取大学前駅から丁度良い時間の便があるので、
実行。唯一の懸念材料は、途中下車駅(湖山駅)よりも戻ることであるが、
難なく改札を突破し、無事に鳥取駅へ。
鳥取駅から久松山を目指して歩くが、地図上での想像よりも結構遠く感じた。
大学時の同級の出身校である、某高校が城址の一部に蟠踞。やれやれ。
城址も一部工事中だった。
工事中で行けないとしても強引に登るつもりではあったが、
正規に脇から行けた。暑い中、汗を流しながら、頂上へ。
後ろから登って来る人がいるため、追い抜かれないように速く歩き、
息は上がる。9合目辺りから石塁があった。
頂上近辺には結構人が多くいた。一通り見て、下山。
絶対に逃せない列車の便まで時間的に余裕はあるので、
城址であるらしい、雁金山にも登ってみることに。
適当な勘を頼りにアスファルトの坂道を登って行くと、
予想通り、登山口があった。やや日も傾きかけたが、
大した距離もないので、一気に登ってしまう。
頂上には平和祈念塔があって、なんとなく城址らしい跡もないでもない。
時間的にゆったりする程の余裕もないのですぐに下る。
鳥取駅まで歩く。
途中、日本にはめずらしい?中心が円となった時計回りに周る六叉路があった。
予定通りに列車に乗り、諸寄駅下車。肌寒い。
しかも、心まで寒くなるような寂しい所だった。
YHの写真で見た民宿兼YHである諸寄YHに着くや、
小生の寝るべき場所は"離れ"らしく、そちらへ連れて行かれる。
場所は本館?からすれば、本当に道路2本を横切る"離れ"で、
既に部屋には2人来ていた。挨拶はしたが、なんとなく空気は重い。
その重たい空気を連れて本館へ晩飯へ。多くの客がいる中、もくもくと食べて"離れ"に戻る。
しばらくして、やっと会話の種が生まれ、会話らしい会話が始まった。
社交的そうなバイク乗りの人に話を振って、もう1人のそうでなさそうな人の発言にも気を配ったりした。
しばらくして、もう1人バイク乗りが現れ、だいぶ空気が軽くなった。
寝る前に、4人でぎこちないままに写真撮影をしたりと妙な体験ができた。
山陰本線の本数が少なすぎるために苛酷なスケジュールとなった。
7時過ぎに朝食を食べ終え、同居人に別れを告げ、城山公園を目指して、綺麗な海を経由して登りかけるが、
道が絶え、慌てて引き返し、行けそうな道を登る。
浜坂YHを見て、さらに頂上へ向けてアスファルトを登るが、なかなか着かない。
浜坂発8:11の列車に間に合わないと次の10:29まで、2時間くらい無駄にするので、
かばんを抱えながら、頂上にある芦屋城に向けてマラソンとなった。
こういう時、走り込んでいて良かったと実感できる。
なんとか着いて、簡単に撮影を済ませ、走って標高を下げる。
浜坂YHの車がお客を乗せ駅方向に向かって行った。
同じホステラー仲間として乗せて欲しかった。ともかく浜坂駅まで走れるだけ走って、
なんとか5分前くらいには着き、一安心。一番の難関を越えた。
この先に、余部鉄橋があるせいか、列車内は多かった。ただ、余部で降りて撮影するだけの時間的余裕もない。
ここは鉄っちゃんじゃなくとも、見応えがあった。
豊岡に9:34に着いた。暑い。出石に行く前に豊岡城を見に行く。
南側の小高い山であることは予習済みだったが、住宅地の細かい道を歩いたため合っているのか不安に駆られた。
城址はかなり公園化されてしまっていて、不完全燃焼。
ここの説明書きによれば、近くにある日吉神社も正法寺城という城址らしいので、
駄賃稼ぎに寄ってみる。完全に神社となっていたが、まあ仕方ない。
撮影を済ませ、再び駅前へ。出石行きのバスの待ち時間に飲み物を目の前のスーパーで購入し、
出石へ。
出石は観光客でごったがえしていた。ともかく城の価値も分らないような観光客らの集団と共に、
出石城へ登る。まあ、素人もここまでは登る。
道の脇から山頂の有子山への登山道があり、装備をして登り出す。
始めから急斜面の連続で休憩を入れながら登る。しばらく行くと、曲輪の跡が出現し、
傾斜は緩くなった。徐々に登って行くと、立派な石塁もあった。
ただ、山頂近辺は熊蜂が多くて辟易させられた。
山頂から、出石の街並が綺麗に見渡せた。これだけの眺望を少数の人間で堪能できるのは嬉しい。
遺構を一通り歩き回り、来た道を引き返す。幾人か登って来る人がいた。
麓まで下りきり、観光案内所に行き、2時間のレンタサイクルをする。
出石の街から北に2kmくらいの所にある此隅山が目的地であるが、チャリでないと厳しい故。
時間的な余裕があれば、出石の街から南にちょっと行った、中村城も行きたい。
街から離れると急に人が減った。但馬一の宮である出石神社も少なそう。
ここを過ぎてしばらく行くと、此隅山の登山口。
イノシシ用なのか柵がしてあって、入口が用意されてある。
頂上にある此隅山城址までも、それほど距離はない。
やや薮化していたが、それ以上にうんざりさせられたのが、熊蜂。
彼らは日当たりの良い所に結構いる気がする。この城址の規模は結構大きかったようだが、
簡単に見れる範囲内では、多くは見られなかった。薮漕ぎすれば見れたかもしれぬが。
再び来た道を引き返す。せっかくなので、出石神社にも参拝しておく。
出石川を渡り、観光地図でなんとか伊福部神社へ。おそらくこの上だろうと読んで登る。
階段を登ると愛宕神社があり脇から道が続く。
この先に神社はもうなさそうだが、案の定道は続いている。
途中から道が北へ向い、尾根道に出ると、曲輪の連続で石塁も残っていた。
山頂部には堀切があるものの、木々が思うように生え放題で、
それ以上の遺構は分らなかった。
記憶のあるうちに帰路を引き返す。伊福部神社でお礼をして、
再び出石の繁華街へ。レンタサイクルを返却し、豊岡行きのバスへ。
是非とも"出石そば"をとも思っていたが、人は多いし、
ちょうど良いバスもあったので残念ながら回避する。
豊岡発15:07で和田山まで。ここで播但線に乗り換え、次の竹田駅下車15:54。
竹田城はもう目の前。2時間の持ち時間があれば余裕だろうと高を括っていたら、
なんと駅裏からの直登コースは崖崩れか何かで封鎖されていた。
それでも全く登れないこともないらしく、
仕方なく北側の小学校裏からのコースで行くことにした。
しばらく昔の面影残る街道を歩き、竹田小学校のところから登る。
ひたすら登って行くと、竹田城の北の守りのための砦跡があった。
これは予想もしてなかっただけにおいしい。竹田城が石の城であることとは対照的に、
こちらは土の城であった。江戸時代前の物だろうか。
ここから竹田城まではすぐで、人も結構いた。
その中でも三脚を持って本格的な撮影に励む人が多かった。
本丸近辺は風が強かった。それにしても標高の高い城址で、こんなに人を見たのは久々。
見晴しは最高。雲海がかかっている時はもっと良いのだろう。
行ける曲輪をほとんど見て、今度は南側から下る。
と、すぐに車道で、アプローチの良さが集客に繋がると納得。ほとんどの人が車で来たんだろう。
小汚い格好をしたのは小生ぐらいだったし。
ひたすら車道を下り、街道に出て、北上し駅に戻る。日没も近まりやや肌寒くなった。
18:03発に乗り、再び和田山で乗り換え、福知山、園部で乗り換え、嵯峨嵐山で下車し、
阪急の嵐山まで歩き、阪急で帰宅。
阪急で十三で乗り換えて、塚口下車。
京都は傘もさす必要がないくらいの降りだったのに、十三からは本格的な降雨。
少し道に迷いつつも予習のおかげで勘を頼りに到着。東側の土塁だけしかなく撮影終了。
阪神尼崎まで歩くつもりでいたが、急遽軟派にバスで行くことにした。
阪神尼崎駅までは、雨の中歩くにしては距離があった。
無難にバスで良かった。駅で下車後、南の方へ。
図書館があったので、雨宿りも兼ねて他の市町村などを調べてみるが、
特に収穫もなかった。
ここは尼崎城の石碑しかないはずだが、
すぐに見付かるだろうと高を括ったのがマズかった。
城址公園は図書館裏にあるが、いっこうに石碑が見付からない。
雨も激しくなり、雷鳴も聞こえ出した。少し探す範囲を広げてみると、
やっと発見した。石碑しかないのが虚しいが、苦労しただけ嬉しくもあった。
小学校の中の説明板を読んで駅に戻り、梅田に出て、帰宅の途に就く。
精米歩合:50% 日本酒度:+5 酸度:1.3 アミノ酸度:1.0。 くせのないストレートな味でやや辛い。
精米歩合:49% 日本酒度:+2 酸度:1.3 アミノ酸度:1.3。 フルーティーさはないが、コクがある。
錦小路に初めて行く。福岡にある、とあるラーメン屋があった。
近鉄の飛鳥めぐりフリー切符を使って高取へ。
大和八木を中心として壷阪山までと桜井までがフリー区間で、フリー区間までの料金込みで、
1,880円。
京都駅からの往復料金と同額なために損をすることはないと踏んだわけだが、
いざ実行してみると、地下鉄で四条から一旦京都駅で降りた場合の料金よりも、
そのまま竹田まで行って乗り換えた場合の料金の方が安く、
しくじったんではと少々後悔した(後日両者とも同一料金と判明)。
京都駅で乗り換えて、座っていると、途中から、右隣に、
明かに半ズボンの小学生と思われる子供が、テキストを開いて、
小数点を伴なった1次方程式を解き出した。かたや、
向いの席では、男の子2人の家族が、キトラ古墳に行くらしく、新聞を持っている。
この3〜4歳?の弟の方が、いかにも末っ子という甘えんぼらしく、
親の言うことを聞かない。母親の方は口で注意するだけで寝たいのが本音のよう。
父親の方はその次男の方の面倒も見つつ、長男と白虎の話などを。
そんな家族ドラマを垣間見ながら、一気に橿原神宮まで。
1次方程式の小学生は途中で下車して行った。
小生も小学校の時代から塾に通った人間であるが故に、憐愍の想いにかられた。
橿原神宮で乗り換える。
橿原神宮駅に来るのは飛鳥に行った時以来となり、懐しい。
さっきの家族はここで下車するらしい。
吉野線のファームへ。今度は登山の格好をした中高年だらけ。
同一目的地でないことを祈る。壷阪山で下車したのは、ほんの数人。
駅前には情報通り、ボランティアガイドの人がいた。
少々マニアックな質問をしてみたが、それとは関係なく、
マイペースに知っているだけの情報を提供してくれた。
ともかく、旧城下町にある夢創館で詳しい話は聞いてくれとのこと。
その指示通り、旧道を登って行く。
土佐町という、奈良時代に土佐から朝廷のために上京させられ、
帰りの金を渡されず帰国できず、
ここに住んだ土佐の人達由来の町を通り過ぎる。
武家屋敷を通り過ぎると一気に山村となった。
たんたんと歩いていたら、突然犬が出現し、吠え、びっくりさせられた。
しかも1回しか吠えず、故意に驚かそうとしたとしか思えなかった。
ひたすら道を登って行くと、城域に入る。国見曲輪からの景色は、若干霞んでいた。
本丸へと進む。ここも、標高の高い所なのにこれだけの石垣を、と思わせる物があった。
やはり、石垣の残る城跡は、有機的な臭いがせず、寒けに似た物を感じざるをえない。
本丸で、おにぎりを1つ食し、うろちょろしてみると、
吉野門跡の近くに、堀切の跡を見付け、妙にホッとさせられた。
下り出すと、登って来る人が何グループかいた。
夢創館までひたすら歩いていたら、再び、さっきの犬に急に吠えられ、
思わず逃げ出そうとしたくらい、驚かされた。性質の悪い、犬だ。
しばらく行った所で、お婆さんに、もう下って来たのかと驚かれた。
なんでも、往路に見掛けられたらしいのだが。
夢創館に入り、縄張り図(10円)を購入。お茶をいただく。
これから行こうとする、貝吹山城近辺の城跡について聞いてみるも、
はかばかしい答は得られなかった。
まず貝吹山で北上する。近鉄を越えて、人気のない道を行くと、越智の方に出て、
貝吹山へは標識もあった。南側は竹薮で山頂部はやや草が伸びていた。
城址ではあるが、これ、という興奮させる物はなかった。
下り、越智の集落へ。越智氏の居館跡らしき場所はすぐに分ったが、
畑など、住民の生活の場となっているようで、スルーすることにした。
しばらく行って、南下。多少道が不安になりつつも、なんとか、合っているらしい。
せっかくだから寄ろうと思っていた斉明天皇陵に到着。
斉明天皇は天智天皇の母親で、始めは皇極天皇で重祚した女帝だ。
日本書紀では、白村江の戦いで斉明天皇も筑前朝倉の宮まで行き、
そこで亡くなっている。とりあえず、階段を登り、一通り見て下る。
曾羽神社まで行こうとするが、道が入り組んでいて、なかなか近づけず、
袋小路に入り込んだりで、アウェーを痛感した。
曾羽神社に着いたものの、城址であるが、はっきりせず、
遺構のありそうな所は完全に薮化していて断念した。
市尾駅に行くと、すぐに電車が来て、橿原神宮前で乗り換えて、大和八木で再び乗り換え、
桜井まで。せっかくの乗り放題だから利用しないともったいない。
桜井にこれといって目的地はなかったのだが、とりあえず下車して、
駅の地図では、付近に城跡がないことを確認し、
山辺の道なるものを北上し、大神神社に行くことにした。
桜井駅から北上し、なんの変哲もない道路を東へ行き、しばらく行って、再び北上。
大和川(初瀬川)を渡る所で、仏教伝来の地の碑があり、
ここから道が面白くなった。家の軒先を行ったりするが、
歴史を感じさせる道で実に良い。天理まで続いているとのこと。
大神神社まで北上。ここは三輪山が御神体と聞いていた。
境内に入ると、まあ普通の神社とさほど違いは感じなかった。
JR三輪駅まで歩く。三輪そうめんが名物であるが、駅前に数軒あるだけだった。
桜井まで出て、近鉄に乗り換え、再び大和八木で乗り換え、京都まで北上し、帰宅。
起床するのも辛いくらい体力的には回復しきれていないようだ。
10時過ぎに家を出るくらいの、気合いのなさ。
桂から烏丸経由で地下鉄に乗り換え、そのまま、京阪へ。
御陵で車両を乗り換え、浜大津へ。
ここで坂本方向の電車に乗り換え、近江神宮下車。
駅前の個人商店で食料を調達。宇佐八幡宮へと。
2001年11月にも宇佐山城へと行こうとしたが、情報に乏しく、
近江神宮の境内をうろついた記憶がある。
宇佐八幡宮に着いたが、その先の道がはっきりしない。
社殿の右側から登ろうとしている人達がいた。
左側に行ってみたら道があるので行ってみたが、袋小路となり、どうも違うよう。
先程の先行者の後を追って、右側から登って行くと、始めこそ道がはっきりしなかったが、
そのうちしっかりとした道となり、
麓の曲輪らしき場所に出た。
後は、道なりに登るだけ。山頂にはTV塔があり、熊蜂が多く困った。
が、それ以上に大きいスズメバチもいた。石塁などの跡も残っていたが、
やはりTV塔の存在が。堀切を挟んで北側にも曲輪があり、やや荒れた中を行ってみたが、
腰曲輪以外に見所も見付けられなかった。
宇佐八幡宮へと下る。
再び京阪に乗り、穴太下車。壺笠山へ、白鳥越えで行こうと駅から道を探すが、
なかなか見付けられなかったが、なんとか、それらしき道に入り、
しばらく行ってみたが、どうも関西電力の道だったのか、間違っているのか合っているのかも分らない。
しばらく行くと、明かに削平地と思われる所があったが、城址ではない。
送電線に出て、さらに道が尾根沿いにあるので行くが、道は送電線の方へ反れる。
古道らしき跡があるので、やや強引に薮漕ぎして登ってみると、
飲み物のゴミとかあり脈ありかと思われたが、
このまま登ることに危惧を覚え、断念し、下ろうと。
だが、ほんの少し登っただけなのに道を失い、GPSで確認するが、
冷静さも失い、強引に動き回り、なんとか、元の道へ。
仕方ないので、別のルートを狙うことにした。
精神的に疲労した。
四ツ谷川を渡り、左折。墓地の前を通って、しばらく平小谷林道を行く。
しばらく行って、分岐があり、そこを南東方向に登る。
と、青い梱包用テープがあり、そこから登って行くと、
道があり、再び分岐があり、登って行くと、薮化しかけていたが、
踏み跡があり、それに従うと石塁が残っていた。
頂上の方へ登ってみるが、薮化していて遺構を見逃してしまった。
この壺笠山と同じ尾根の反対方向にも白鳥城址があったようだが、
こちらも事前調査が足りず見逃してしまった。
ともかく下まで下り、壺笠山から北東にある青山城と見られる山へアプローチしてみることに。
だが、ここも荒れ放題でどうしようもなさげ。
だが、標高もたいしたこともなく、まず迷うこともないだろうと、
ここは薮漕ぎ。というか、倒木漕ぎか。
山頂部まで強引に登るが、遺構は分らず仕舞い。平坦地らしさくらいか。
下り、平小谷林道を引き返し、穴太駅に戻り、帰宅の途に就く。