ことを済ませ、高槻での阪急からJRの乗り換えで、
"それ"を探したが、アウェーなのでちゃんと地図を見るべきで、
完全に場所を間違い、時間がなくなり、新大阪に戻る。
YHに荷物を置き、難波へ。
こちらが、携帯を持たないので、だいぶ迷惑をかけて、なんとかYさんと合流。
23時門限のYHに対し、22:20頃難波を出て、御堂筋線に乗ったが、
生憎、中津行きで、保険をかけて梅田で一旦ホームに下車する。
次の電車は5分後のはずだったが、
7分後くらいに到着。新大阪に22:45くらいに到着。
JR新大阪駅をダッシュ。こう云う時、マラソン練習の有意義さを感じる。
早朝にYHを出て、そのまま新大阪から御着まで。
結局、18切符を金券ショップで買えず、みどりの窓口で購入し、
金欠状態に追い込まれた。
御着に着いたのは、8時台で、通勤者の流れを逆らって、御着にある"それ"へ。
9時前なのに、もう暑い。
しかも、ほとんど何も残ってない。予習はしていたが。
郵便局で金を降ろそうとしたら、9時まで開かず断念。
姫路で乗り換え、姫神線を一気に龍野へ。
コインロッカーはないが、自転車預かり所が200円で荷物も預かってくれた。
身軽になり、とりあえず金を降ろし、龍野の街中へ揖保川を越えて行く。
某醤油メーカーはここにあるのかと。揖保素麺も有名だし。
城下町は、当時の雰囲気を残してある雰囲気ある街並だった。
江戸時代の城址に行ってみたが、
最近は登らないと達成感を味わえない体になってしまった。
予定通り、裏にある鶏龍山に登る。予想以上に観光化されていて道は良かった。
ここを見ずに引き返すのはもったいないくらいの代物だった。
下りは、紅葉谷へ。実に登り甲斐があった。駅まで戻る途中に、
せっかくなので、揖保乃糸を食べることに。
『はりま路』で梅にゅうめん(だったか)を食す。
梅干しと醤油で甘辛い椎茸と錦糸玉子、海老、カマボコなどがのっていて、
食す前にデジカメで撮ろうかと思った程だった。
揖保乃糸もこれらの具とマッチして、美味かった。
大殿筋の汗で、椅子が濡れてしまい、申し訳ないことをした。
近くの本屋で本を購入。
絶版になった宮脇俊三の新潮社の本が現役で並んでいて驚いた。
図書カードの操作も慣れないらしく、少し困っていた。
その後、ジャスコで補給し、駅に戻るも、荷物預かりのおじさんがいない。
携帯の番号が書かれてあるが、わざわざ公衆電話から掛けるのも面倒なので、
列車の発車時間(12:30)まで10分以上あるので様子を見ることにした。
5分くらい経ち、いらいらし始めたところで、戻って来て、荷を引き取る。
おじさんは、すごい恐縮していた。都会では味わえない、一コマだ。
姫神線を上月まで行く予定だが、この列車は、1つ手前の佐用行き。
途中から座れて、半ば寝ながら、佐用に到着。
智頭急行との交差駅だが、予想通りの規模。
しばらく待って、13:33発の津山行きに乗り、次の上月下車(13:38)。
予想通り、コインロッカーはない。
仕方なく、重い荷物を背負って、荒神山に登ることに。
炎天下の中、麓までも辛かった。登り出すと大して距離はなかったが、
右肩と左肩に荷物を交互に背負いながらで、やはり辛い。
比高がさ程でなかったのが救い。
撮影し、そのまま下り、駅まで。虫が欝陶しくて仕方なかった。
駅では、50分くらい時間を持て余し、15:44に乗車。
16:40、津山に着く。
コインロッカーに荷物を入れる。
なんとしても、17:47発の快速の岡山行きに乗りたい。
吉井川を渡り、鶴山公園へ。想定外の入場料を取られ、
内部へ。見落としのないように、歩き回って、駅へと戻る。
予定の時刻まで余裕を持って帰って来れた。
津山を出て、岡山に近付くと、みるみる、怪しげな雲行きになり、
雷鳴付きで雨が降り出した。
岡山に着き、宿泊予定地の倉敷まで行こうと、
快速に乗るつもりが、この駅は電光掲示が改札口にしかないという、
致命的な欠陥のせいで、まんまと乗り遅れた。
心の内で、悪態をつきつつ、とぼとぼと次の電車の来るホームへ。
倉敷駅を出た頃には、雨も止んでいて、駅地下で晩飯を食す。
美観地区を経由してYHへ。夜の美観地区は雰囲気が良かった。
倉敷のYHは、かなりの比高の位置にあり、
薄暗い中、墓のある地域を通過して、登山して、なんとか到着。
これは想定外。街の辺りで、翌朝の朝飯などを買っておくべきだった。
完全な判断ミス。仕方なく、ペアレントにスーパーのある位置を聞いて下る。
奮発してアイスクリームも買って戻る。
一風呂浴びて、談話室で、ペアレントの麦焼酎『猿川』をいただきながら、
アイスクリームを。意外に行けた。
ペアレントも転勤があるなど、いろいろ面白い話を聞けた。
結局、早く寝るつもりが、0時頃まで談笑し、就寝する。
児島を8:30に出るバスに乗りたかったが、起床時間からすると無理で、
9:30に乗るつもりで倉敷駅まで歩く。
美観地区は、人がほとんどいなくて良かった。
先に下津井に行って、庭瀬に寄るか、その逆かを考え、後者を選択。
荷物を倉敷駅のロッカーに預ける。
9:04岡山発に間に合えば良いので、先に40分くらいの予定で庭瀬下車。
朝から暑い中、30分くらいで庭瀬で2つを片付ける。
岡山に出て、マリンライナーも座れて、児島下車。
バス(とこはい号)の出発まで3分だったが、余裕でセーフ。
城山公園下で下車。だが、城山公園の場所が全く分らない。
祇園神社の裏手にある商店で聞いてみると、荒いながらも親切に教えてもらい、
いざアスファルトを登る。とにかく、暑い。
ここからの展望は良く、瀬戸大橋が見渡せる。
下って、"それ"の跡と云う、祇園神社に登り、下り、
「むかし下津井回船問屋」に入る時間はなく付近を歩くだけでバス停へ。
やたらと詮索するおばちゃんの質問にある程度答えたところで、
やや遅れてバスが到着。鷲羽山に寄りながらのバスルートだったが、
中学校の時に来た記憶はかなり薄い。
児島駅に戻り、11:13のマリンライナーが改札には載ってなかったので、
せっかくホームに停まっていたのに乗り過ごしていまい、
結局11:15発の普通で岡山へ。11:59の伯備線で倉敷に戻り、
荷物を出し、きびだんごとおにぎり2つを買って、
12:29発の岩国行きに乗車。
五日市で乗り換えて廿日市15:21下車予定。
長時間乗るのでクロスシートを虎視眈々と狙って、
空くまで扉の所で立っておく。
小学生のみのわんぱくな連中がいて車内は騒がしい。
30分くらい経ったところでやっと座れる。おにぎりを食べ、
うたた寝と読書を断続的に行う。結局、五日市まで小学生とは一緒だった。
五日市で乗り換え、廿日市下車。駅から近いので早めに済ませたい。
手元の地図を頼りに、曲がりくねった路地を歩き、桂公園に。
登ってみると、ただの公園。余りにも悲しい現実だった。
重たい荷物を抱え、重たい足取りで駅へと戻る。
普通で、玖波駅下車。目的地まで少なくとも2kmくらいありそうで、
今日の山場だ。大竹駅から乗るつもりなので、荷物も抱えて、
国道2号線をひたすらと南下。しばらく行くと、車用の標識があり、
それに従い、結果的に回り道をして、最後は坂を登って、到着。
かなり苛酷だった。
たまたま、遭遇した犬を散歩中のおじさんが手招きしてきた。
若干の怪しさがあったが、挨拶をして近寄った。
牡蛎の貝殻付きの石垣を教えてくれた。耳が遠いようで、
こっちの言っていることは余り聞こえてないらしかった。
その場で別れ、公園内をうろちょろ。国道2号側に下山。
玖波に戻るか、迷ったが、せっかくなので、大竹駅まで歩くことにした。
が、歩けどもなかなか着かない。荷物は重いし、まだ暑い。
しかも車道は交通量が多く、空気が悪い。
おまけに後ろから自転車が来て、左手をぶつけられた。
結局、玖波駅よりも遠かったようだ。
大竹駅に着くと、良い時間の電車は行ってしまい、時刻表では、
理論的に普通だけでは帰れないことが判明。
どこで新幹線を入れるか考えて、岩国まで出る。
時刻表の綴じてある部分で見えない部分があり、なんとか普通で帰れることが分り、
胸を撫で降ろす。新山口で40分くらいの待ち時間を作り、
コンビニで夕食を購入し、ベンチで喰らう。
後は、下関、門司で乗り換えて帰宅。
再び腰痛がやって来た。今回は、ぎっくり腰ではなく、 左足に掛けて。屈伸は余裕だが、膝を伸ばしたまま、体を下に持って行けない。
水谷、中村-長野-宮本-山形(辰)、
宮崎-ホベルト-山形(恭)-古賀、グラウシオ-田中。
今日の相手は相性の良い、水戸。第2クールでは、アウェーで苦しめられたが、
今日は勢いに乗って勝ちたいところ。
立ち上がり、グラウシオから古賀へのスルーパスなどチャンスがありながら、
決定力に欠いていた。
が、この日、初スタメン初出場のCB長野の前線にクリアしたボールが、
相手CBのトラップミスを誘い、そのボールを一早く拾ったグラウシオが、
抜け出し、珍しく冷静にゴールを決めた。
さらに、カウンターから、グラウシオが個人技で1人をかわすと、
誰もいない左サイドを掛け上がり、DF1人を引き付け、
PA内に入ったところで、右のアウトで、フリーで走り込んで来た、
田中にプレゼントボール。田中は、もう、蹴り込むだけ。これで2-0。
とにかく、グラウシオがキレキレで、ピッチ上に君臨、という感じだった。
前半、気になったのは、ホベルトが負傷で喜名に代わったことだった。
一方の水戸は、1トップから磯山を入れて2トップにし、
なんとか起点を作り出そうとしていたが、結局何も出来ないままだった。
後半も、開始早々、宮崎、喜名のダイレクトパスから、スルーパスに反応した、
グラウシオが、再び冷静に流し込み、3-0と、試合の蹴りを付けた。
この後は、水戸は運動量が落ち、必死に攻めて来る気配もない。
一方の福岡も中盤が間延びし、得点の臭いは消え、
ただなんとなく時間を浪費しているような印象が残った。
それでも、田中の全力プレーは賞賛ものだったし、
初出場の長野も冷静に対応していた。
88分に宮崎に代えて林が入ると、林はPAエリアに入って、
らしくもないフェイントをして相手をかわしいにかかったは良かったが、
自分の体が付いて行けず、
結局タッチラインにボールが流れるというシーンを演出し、
観客の失笑を買っていた。試合は、ロスタイムに古賀に代えて有光が入るも、
何も出来ずに、3-0で終了。
今日の試合は46分で終わってしまい、後はだらだらとした無駄な時間だった。
ともかく、勝利の味を思い出したようで、このまま行って欲しいものだ。
島Dくんと長浜の鮮魚会館の海鮮へ。
にぎりを一通り食べ終え、刺身を食べることに。
何が美味しいか、聞いてみたところ、「ヒラメ」と。
出て来た刺身は、見ただけでも脂が乗っていそうなことが分る。
その味たるや、頗る美味い。
ポン酢につけて、ネギやもみじおろしと食べるわけだが、
ヒラメ自身は主張する程の強い味ではないが、
そこに奥行きさがあり、歯応えがあって、なんとも上品で贅沢な味だ。
えんがわも脂が乗ってて美味い。
日本酒か焼酎をちびちびやりながら飲めたら最高だったろう。
仮定法過去の例文のような文章になってしまった。
どうやら、腰痛ではなく、左足がらみであったらしい。 こう云うことも、ある程度痛みが引いて来たので、分ったこと。 ここ1ヶ月くらい、左足の付け根が多少変だったのと関係があるのか。
8:12に佐賀に着き、一旦、実家に要らない荷物をデポして、
8:30発の唐津行きの昭和バスに乗る。前日の100m×4リレーのせいで、
3時間も寝てないので、うたた寝をしつつ、小城の天山宮前で下車。
朝から福岡から佐賀に掛けて、天気予報は晴れなのに、
雲が低くて心配だ。
ともかく、今日はアスファルト歩きがほとんどでしんどいだろう。
晴気川沿いを登って行くと道が果たして合っているのか怪しくなり、
ちょうど外にいた、おじさんに聞くと、間違っておらず、
遭難するなと注意を受けた。ついでに、水を飲んで行けと、
川の水を飲ませてもらう。格別に美味くはないが、冷たくて気持ちは良かった。
川原から、ひたすらアスファルトを登って行く。本当にひたすら。
だいぶ向こうに天山なのか、草原風の山が見えるが、まだまだ距離はありそう。
しばらく行くと、かなり近くで猟銃の音が聞こえて来た。
アスファルトを歩いていりゃ、撃たれることもあるまい。
こんな所にも電線があって、人が住んでるんだなと思った所が、
桑鶴だったようだ。何軒か住居があった。
分岐を勘で左折し、しばらく行くと、川内分校跡。
意外にしっかりした建物であったので、驚いた。
比較的最近まで使われていたのかもしれない。
自宅から持参した、
とあるメーカーのパイナップル味のエネルギーゼリーを食したが、
余りの不味さにもっと驚いた。セリーぽくなくて、粉っぽかった。
ここから、標識があって、林道をひたすら北上。
まだ、曇っていて不気味だが、雷の音も聞こえないし、
直射日光を浴びずに済んだ。しばらく歩くと、
水場が何箇所かあり、喉を潤したり、洗顔したりして体を冷却する。
コンクリートのダムから流れ出した水だけに、新鮮味に欠ける。
時折車に抜かれるが、歩いている人は皆無だ。
アスファルトを歩ききると、駐車場に出る。
車が数台停まっている。ここからでも景色は結構良い。
すぐに山頂に向かって登り出す。
土の道になったが、しっかり整備されたと木を使った階段となっていて、
登山をしている気分にならない。
すぐに雨山と岸川との分岐になり、雨山は後に回して、
天山山頂へ。高木がほとんどない傾斜のある、
多少岩だらけの道(すがもり越えから三俣山西峰を思い出す)を、
登り切ると頂上だった。阿蘇惟直の墓がある。
付近で何か植物を探しているような団体がいる。
結局、最後まで彼らが何を探していたのか分らなかった。
風が強く、気温も標高500mを越えてからは涼しく、快適である。
雲も取れて、晴れて来た。
多少風が強くて、タオルや帽子が飛ばされそうで、心配だったが。
何かの碑の裏に座り、おにぎりを1つ食す。さっきの不味いゼリーを飲み干す。
やはり美味しくない。
少し、彦岳方向に行ってみたが、北の背振山系、
南の鹿島から佐賀に掛けての平野が綺麗に見渡せ、格別な景色だ。
登り口の天山宮前の付近の高速の高架が見える。
景色を堪能し、そそくさと雨山へ。本当は、彦岳へと縦走したかったが、
始めから無理はしないことにしていた。
雨山は少し薮化しており、立ち寄っただけで、すぐに下る。
駐車場まで下りて来ると、登山しそうにもない人達がいて、
なんともいえない気持ちにさせられた。
来たアスファルトの道をひたすら下る。
つま先が靴の先端に擦り、痛い。標高が下がって来ると、
炎天下の空気を味わうことになり、地獄の様を呈して来た。
川原からは、もう下界の気温で、とにかくバス停までと歩いた。
が、バスは40分以上も来る予定もなく、バスとJRのある、
小城の中心部に歩くことにした。すさまじいばかりの直射日光の下、
うだるような暑さを味わいつつ、ヘロヘロになり、
なんとか小城のバスセンターに辿り着いた。
30分後くらいのバスに乗ることにし、
発車時刻不明な1km離れたJRは遠慮することにした。
バスに乗り、三日月辺りで寝、気付くと、県庁前だった。
9時から昨年同様に今宿にある証明寺へ。
正信偈を皆で唱える。『南無阿弥陀仏、南〜』が印象的。
その後の和尚のMCでは、前日の睡眠不足の影響から爆睡。
横にいた愚妹に2度も起こされた。
夕方、今宿の佐賀江川で毎年行われる、
精霊流しを見に歩いて行く。
小学生の頃の、祖母や亡き叔母と行った記憶が残っていて懐しい。
昔程の盛況振りはないものの、
いろいろな大きさの船が花火の火をまといながら流れる様は印象的。
以前は派手にバンバン打ち上げていたが、最近は上品な舟が多くなったようだ。
それでも、舟によっては、提灯をたくさんかかげた高額そうなものもあった。
結局、燃やすだけなのだが。『西方丸』とほとんどの船に書かれてあるのは、
精霊を印度(西方)へ、と云う、ことなのだろう。
水谷、中村-長野-宮本-アレックス、
宮崎-ホベルト-山形(恭)-古賀、グラウシオ-田中。
ともかく、どうも。大切に使いたいと思います。今冬には。
夕方から親藩的友人と西新のしばらくへ。 やはり、離福前はラーメン。
段ボールが簡単に運ばれて行き、本棚などに時間が掛かっていた。 全ての荷物がなくなると、なんとも云えない寂しさを感じる。 ぞうきんで床を拭き、とりあえず、部屋を撮影。外の景色も撮影。 大家に挨拶し、筥崎宮に参道を走らせてもらった御礼をして、 JRバスの残った回数券を消費するべく、バスで博多駅へ。 予想以上に時間が掛かった。博多駅から特急で佐賀へ。
新幹線で移動。梅田の金券ショップで青春18切符を安く買いたたかれる。
まあ、仕方ない。元は取ったし。
最低限の荷物を新居に置いて、四条烏丸のホテルに移動。
雨が冷たい。
午後を過ぎて、荷物が運び込まれた。どんどん入れられて、段ボールだらけで、 寝る場所もないくらいだった。とりあえず、1畳分くらいの平面的なスペースを作り、 寝る場所を確保。早く、ベッドの上に寝たいものだ。