エスプレッソマシーンの出がここ最近悪く、気になっていたけん、 原因は石灰化によるものと断定して、 マニュアル通り酢をタンクに入れてやってみたが、 逆に出が悪くなってしまった。なくなく諦めて、 販売元の天神のDに修理をお願いすることになった。
二日市に集合がかかる。博多駅で早くもジャージ姿の師と合流し、
快速で二日市へ。ホームで牧N氏と合流し、駅前で待つ野D氏の乗用車へ。
今日の予定は、黒木町役場で12:00に佐賀組と合流し、
そのまま442号線で瀬ノ本まで出て、
筋湯温泉にある九州地区国立大学九重共同研修所へ。
二日市からはかささぎロードで鳥栖に出て、筑後川で出て、
久留米を経由して3号線に入り八女まで。
3号線は混んどったけん、遅刻が予想された。
案の定、黒木町には12時を過ぎたものの、佐賀組も若干遅れとって、
ばっちりとスーパーで合流。今日の酒及びつまみ系を購入。
そして、目的地へ向けて、出発。少しばかり干上がりかけた日向神ダムに面した、
ひなびた食堂で遅めのランチ。
4人分くらいのうどんの"たま"を6分割されたくらいの量だった。
それから、422号で小国町に出るはずが、道を間違えて下筌ダムの方向へ、
10分くらい行ってしまった。結局、牧の戸峠に着いたのは15時過ぎ。
A、B、Cチームに分れて15:30から登山。
道行く人が、これから登るのか!?という具合だ。当然である。
観光客でも登れる階段を登りつめてしばらく行くと沓掛山。
ここから久住山の頂上までは4.1km。
小学校2年の時に行った時はそこそこ苦労した記憶はあるけど、
今ではたった4.1kmしかないけん余裕すら感じた。
しかも実際に縦走路は平坦で、まあたまに石が多くて歩きづらい箇所もあったが、
1時間15分で頂上に着いた。
師と土T氏で記念撮影しバナナとコーヒーを飲み、
天狗ヶ城へ。Bチームの方々が遠くで手を振るのが見えた。
ここは、急斜面で少々きつかったが、短距離やけん、
割と楽に頂上。そして、中岳も同じ塩梅。
そして御池を左に見ながら、久住分れを経て下山。
夕日が沈みかけ、辺りは薄暗くなりかけた。
でも、前回の跌を生かし常備している、ヘッドライトが活躍する日がやっと来た。
光源も強く、両手も空いて、かなり満足する代物だった。
そんなこんなで18:50分頃、下山。
飲みだったが、牧Nさんも書かれてあったが、確かに量が少なかったようだ。 手取川の方は醸造アルコールが入っているのが分るものの、そこは大吟醸、 ただ茶飲み椀で飲んだのがいけなかったようだ。 そんな中、突然屋台がやって来たのには驚いた。正直、おいしいとは言い難かったが、 まさかこんなところに来るかよ!?、 という感覚がそれを麻痺させるには充分なのかもしれない。
木村酒造によるものだが、そのオリジナルラベルによるものらしく、 商品名が定かでない。敢えていうなら福小町だったか。
始発の「つばめ」で八代へ。もちろん目的は"それ"。
下車後、1時間半の制限時間の下で、前川を渡り、麦島方面へ荷物を背負って走る。
ちょうど遺跡の発掘現場だった。すぐにまた引き返す。
次は佐敷まで鈍行で行く。ここでは1時間弱しかない。
"それ"はあろうことか山の上にある。
駅から見えるのに行くべき道がかなり遠回りのようだ。
計画から挫折しても仕方あるまい。でも以外に短時間で行けたせいか、
次の津奈木までのバスに余裕を持って乗れた。
ここで一緒に乗り合わせた小学生の少年少女達7人くらいは、
みんなで温泉プールに行くらしいのだが、どこで降りるべきなのか、
少年達はからっきし分っておらず、
何度もバスの運転手や乗客であるジモッティのおばちゃん達の笑いを誘った。
やはりこの年頃は少女達の方が精神的に大人であることを如実に証明してくれた。
津奈木では温泉のある建物の裏にある山が"それ"。
モノレールでも頂上近辺まで行けるようだが、九州男児にそれは許されない。
でも階段で4〜5分くらいで着く程度やった。
展望台の辺りは整備されとったけど、"それ"の跡は電波塔があるものの荒れていた。
次は水俣。駅を降りて見当をつけて勘を頼りに行くと"それ"はあった。
時間的に余裕はあったはずが、かなりの距離のせいで、
徳富蘇峰・蘆花の生家で時間がなくなり、入場しガイドもしてくれたにも関わらず、
短時間しかいられなかったこと残念だった。
水俣から出水まで鈍行で行って特急料金を節約し、西鹿児島へ。
まず、祖父のいる病院へ。行ったら飯の時間でちゃんと分ってもらえた。
ただ、3度くらい身長はいくらだ?とか、今何年だ?とかいつものように聞かれた。
親藩的友人の車で僕がかねて行きたかった都城に行くことになった。 10号線をひたすら行く。昼食時に雨にたたられたが、 "それ"に着く前には上がっていた。日頃の行い云々である。 そして財部でも"それ"を見て帰途に就く。
釣※ちの親藩的友人と夕食後に吹上浜に面する漁港でやることに。 スズキの子供(名を失念、セイゴ?)を何度か釣針にかけたが、結局逃げられた。 前回に比べれば、まだマシだ。 伊作峠は、 直前まで叔父に出るスポットして有名だと吹き込まれていただけに気味悪かった。 釣っている時に人のいないはずところから声が聞こえ、 妙な気配を感じたのは錯覚だったか。
昼頃に1人で祖父を見舞いに行き、車椅子を押したり、
着替えを手伝ったりした。今日も、身長はいくらだ?と2回程聞かれた。
鹿児島にいればいる程、鹿児島弁のイントネーションが出来るようになりつつある、
というか、知らず知らずのうちにしゃべり出している。
耳の遠い祖母を相手に話すのに鹿児島弁のイントネーションが1番通じやすいから、
仕方ないか。
前半こそは上位チームの甲府がお付き合いしてくれているような展開で
面白味に欠ける内容だった。それでも、甲府にしっかりと技ありゴールを決められ、
先制されていた。
後半はなんとか1点取って追い付こうとしたが、
左SBの古賀のパスが味方に当たり、それがDFラインの裏に流れたのを持っていかれ、
万事窮した。その後は、甲府のカウンターに面白いように遊ばれ、
気が付いたら、既に0-4になっていた。
それから呂比須が日本新記録となる203ゴールを豪快なヘッドで決めたが、
焼け石に水だった。
最近の腑甲斐無い試合にも関わらず、観客の入りは前節と変わらない。
何故だ?彼らを定常層と考えていいのか。
前半から押していたのは福岡。
大宮は結局シュート0でロスタイムを迎えたように見えた。
一方、福岡も攻撃はたまに良い形を見せるものの、点には結び付かず、
守備の方は怪しげで前半を終えた。
後半も両チームとも相変わらずだったが、大宮のFWバルデスがキープして、
それを原崎がよく見て先制ゴールを奪った。実に効率の良いサッカーである。
このまま終わるのかと思いきや、カウンターから林と宮崎の頑張りで、
こぼれ球をアレンがごっつあん状態で決め、同点に追い付いた。
しかし試合は引き分け狙いの大宮の手にはまり、ロスタイムに入った。
だが福岡の執念の方が上手だった。ボールを後ろから繋いで、
大塚がキープしたままエリア内でパスが出て、
それを呂比須が落ち着いて決めた。
その瞬間博多の森は久々に歓喜の渦が沸き起こった。
相手のモティベーションはともかく、
約2ヶ月振りの勝利はなんとも表現しがたい程嬉しいものである。
例えJ2においてでもある。
今日は勝ち方が悪かった、とか云ってた時はいつのことだったか。
久し振りに来た。
朝吉塚6:15発の電車に乗って、新飯塚、田川後藤寺で2回乗り換えたが、
その待ち時間が昨日からやって来た寒気団のせいでちかっぱ寒かった。
山に向かうことは自殺行為ではないかと懐疑的にならざるをえなかった。
筑前岩屋に9時前に着き、1枚脱いでアスファルトの道を歩く。
歩き始めてすぐに軽く雨が降り出す始末。幸先わろし。
峠近辺で猟をやっとう人に「気を付けて」と言われる。
「こっちが気を付けても!?」とやり返す。
少し行くと、猪を撃ち殺したばっかりの人が犬を2頭連れて下りて来た。
しばらく行くと斫石トンネル。ここが登山口だ。
少し急な道を登ると、大日ヶ岳と釈迦ヶ岳への分岐。まず、大日ヶ岳に向かう。
すぐに鎖の掛かった岩場に遭遇。若干のびびりと伴ない通過。
そして、急斜面の連続。斜面を越えると後は比較的楽だった。
曇空で山道は薄暗く、猟銃の音が聞こえてくるのには辟易させられた。
今先の分岐に戻り、今度は釈迦ヶ岳へ。ここは急斜面をしばらくやりすごすと、
すぐに頂上だった。視界は開けとったけど、小雨と北風が冷たかった。
おにぎりを1つ食い、岳滅鬼山への縦走路へ。
ここからは道が比較的平坦でかなり飛ばせた。
植生も多様で歩く人間を和ませてくれる。
岳滅鬼山の頂上に着いたものの、北寄りの風がバリバリ寒くて、
おにぎりを1つ食ってすぐ出発。
止まっているよりも歩いている方が寒さを感じないくらいだ。
岳滅鬼峠までは鎖場があって、急斜面を慎重に下る。途中、滑って負傷した。
この下山路から見る、
障子ヶ岳や英彦山は紅葉のシーズンまではもう少しあるものの、
自然の美を再認識させられた。
峠を経て、下ると、林道に出た。
バイク乗りのおっちゃん達に道を聞き、林道をひたすら鬼杉入口方面へ。
ちょうど山陰に入ったせいか風もなく陽も出て、かなり楽。
楽な道をしばらく貪り、鬼杉入口から一路鬼杉へ。
さすがに樹齢1200年だけあり大きく太い。
ここから九州自然歩道に入り、崩れかけた階段道をひたすら登る。
きついだけで面白味のない道だ。
かなり標高が高くなってくると、迂回路と分れて、鎖場へ。
ここは北風を遮るものもなく、慎重にならざるをえない。
でも岩登りもまた一興でもある。
そこは普通の山登りとは違って、体全体を使って登ることが強いられ、
その一歩一歩が慎重さを求められる為に実に充実している。
ここをやり過ごすと、南岳の頂上。まあ英彦山の事実上の頂上。
ここも風を遮るものがないけん、休憩をほどほどにして、神社がある中岳へ。
お年寄の集団(20人くらいか)に遇う。
みんな御機嫌よろしく、挨拶するものだから、こっちもにこやかに挨拶。
中岳にはなんと売店まであってびっくり。ビールまで売ってある。
そりゃ、やばいだろ!
中岳はメインなようで、写真撮影をしとう人が多いいけん、そのまま北岳へ。
鎖を使ったりしながら下り、そのピークへ。
風も強く人がいないかと思いきや、
禁足区に神社関係?の人1人が作業する為に土足で入って行った。
おにぎりを1つ食べ、再び下山路のある中岳へ。
今度は一般道である、奉弊社に向う階段道。
退屈な道がひたすら続き、足への負担も大きく、うんざり。
中学に入りたての頃、奉弊社からしばらく階段で登った辺りに出て、懐しかった。
奉弊社から銅の鳥居を経て、旧道をひたすら下る。
駅に行き着くのか、心配になり軽くジョグる。
なんとか国道に出たものの、時間的に際疾いことが発覚し、1km以上走る。
そして駅をなんとか見付け、目的の列車に乗り帰宅。