上野8



膳城山上城谷津館高津戸城

膳城


前橋市(旧粕川村)【最寄り駅】上毛電気鉄道上毛線駅膳駅

築城時期は定かでない。 鎌倉時代から善氏の名前は見えており、この辺りに本拠を構えていたようである。 文明の頃(1469〜87)善・山上氏とも佐野周防守に追い落とされ、武州五十子にいたが、 その後横瀬業繁の援助で奪回し、金山城の属城であった。 永禄5年(1562)、天正2年(1574)上杉謙信により落城されている。 その後、北条方の城となり、金山から河田備前守が城代となって入った。 天正8年(1580)武田勝頼により、後世「膳城素肌攻め」と呼ばれる攻めを受け、 河田備前守は討ち取られた。(大系より)
粕川歴史民俗資料館のすぐ南側に位置する。 土塁や空堀など良く残っており、郭の一部は民家となっているものの、 縄張りも当時のままに残存している。


山上城


桐生市(旧新里村)【最寄り駅】上毛電気鉄道上毛線膳駅

足利俊綱の弟高綱がここに住み、山上氏を称した。 弘治元年(1555)北条氏康はここを奪い、山上氏秀を下野に追った。 その後上杉輝虎が北条勢を追って、大胡民部左衛門に預けたが、 永禄の頃(1558〜1570)は由良国繁の持ち城となった。 天正2年に上杉輝虎は再びここを落している。(大系より)
農村公園として整備されている。 舌状丘端に位置し、南北にひょろ長い。 地形を利用し、郭間に空堀を配し、 西側にも空堀がある他には特に技巧的な感じはしない。 一城別郭の構成という、南の郭には、櫓台らしい跡が残っている(右端画像)。 膳城とは至近の距離にある。


谷津館


桐生市(旧新里村)【最寄り駅】上毛電気鉄道上毛線新川駅

詳らかな歴史は不明。
土塁と空堀で囲まれた館跡である。中は竹藪になっている。

虎口 土塁と空堀

高津戸城


みどり市(旧大間々町)【最寄り駅】上毛電気鉄道上毛線赤城駅

承徳・康和の頃(1097〜1104)[現地説明版には寛治年中(1080年頃)とも] 山田七郎平吉之の子孫によって築城された。10代目の則之は桐生国綱によって滅ぼされた。 その後、里見氏連が仁田山八郷に入った。 天正2年(1574)4代後の宗連の時に上杉謙信に攻められ自刃した。 宗連の元に身を寄せていた、安房の里見実堯が桐生親綱の客分になっていたが、 2子を謙信に託したことから誤解を受け、詰め腹を切らされた。 その2子、随見勝政と勝安は天正5年(1577)親の仇をとろうとしたが、失敗し、 由良国繁に攻められ、翌年討ち死にした。(現地説明版・大系)
高津戸渓谷の東側にあり、形式は古い。 要害神社が最後部で本郭で(左端画像)、北東への搦め手側に下る道の途中に堀切が数本ある(左2,3画像)。 本郭から大手道を下ると、二郭で切岸が数段残っている(右端)。

本郭 搦め手堀切1 搦め手堀切2 二郭


前へ

このページの著作権は、作者に帰属します。 画像などの2次利用は御遠慮下さい。


戻る