正平20年(1365)大祝与三郎が城主であった時に、河野通尭に攻められたが、 細川頼之の援軍に救われた。同23年に再び河野通尭に攻められた。(大系より) 登山口の標識も何もない。山頂部には岩子大権現があるだけで遺構らしい物はない。
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