筑前5



大野城白山城豊前岳城山鹿城岡城

大野城

太宰府市・大野城市・宇美町【最寄り駅】西鉄大牟田線都府楼駅

白村江の戦いの後に、新羅・唐軍に備えて築かれた奈良時代の城と云われる。
土塁は大規模で、その円周内に主城原礎石や村上礎石など多くの礎石群が残る。 また百間石垣は180m弱ある石垣で見応えがある。 ここも昨年(2003)の水害で多少被害があったようだが、 その他に、北石垣は崩壊しているようだし、 大石垣も土石流で完全に崩壊している。


64x48(1676bytes) 主城原礎石 大野城竝四天王寺碑 太宰府口 大石垣 村上礎石 百間石垣1 百間石垣2

水城

大野城市・太宰府市【最寄り駅】JR鹿児島本線水城駅

東門が旧3号線沿いに、西門がJRよりも西側にあったとか。 その他、太宰府側から福岡側に水を流したと云われる、木樋が発掘されている。

水城碑 水城1 水城2 水城3

大土居小水城

春日市

大土居小水城1 大土居小水城

天神山小水城

春日市

天神山小水城

白山城

宗像市【最寄り駅】鹿児島本線赤間駅

宗像氏の蔦ヶ嶽城に移るまでの本城。
麓の山田地蔵尊から登山口がある。途中に虎口の跡や石垣が散在しているのが 確認される。また飲み水用であろう水穴(画像3枚目)も本丸のすぐ下にある。


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豊前岳城

水巻町【最寄り駅】鹿児島本線水巻駅

遠賀川に面した、豊前坊の頂上にある。麻生氏の居城。
石垣が残っている。
頂上から見渡す景色はすばらしい、と書きたいところだが、木が繁茂していて 視界は狭い。


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山鹿城

芦屋町

藤原秀郷の弟秀遠が城主となり山鹿氏を名宣った。平家が一時安徳天皇を伴なって 逃げて来たこともあるとか。その後、平家の滅亡とともに山鹿氏は滅び、 麻生氏の居城になった。
現在は城山公園となっている。海や遠賀川が近いこともあり、カニがたくさんいた。 遺構はあまりはっきりしない。


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岡城

岡垣町【最寄り駅】鹿児島本線海老津駅

文明年間(1469〜87)に花尾城合戦で大内氏に敗れ和睦により、岡に移った麻生家延により築城された。 3代目の隆守の時、帆柱城の異母兄と相続争いとなり、隆守は大内氏に従った。 天文15年(1546)大友宗麟の家臣の瓜生貞延が攻め寄せ、隆守は海蔵寺まで逃げ自害した。 (現地説明板、北九州・京築・田川の城、福岡県の城より)
40mばかりの小さな山で、本丸、二の丸、三の丸跡がある。 南西部に数本堀切らしい跡があるが埋もれている。 一方、北西部に他の遺構とは異なる雰囲気の、2つの折れのある虎口がある。 『北九州・京築・田川の城』によれば、井上周防がここを築城し、麻生隆守は熊山城としているが、 当城東側の隆守院の存在も考えると、江戸期に入って、北西部だけ改修したとの可能性はないのだろうか。

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