筑前16



老林城一ノ岳城亀の尾城白土城鶫ヶ嶽城

老林城

那珂川市

筑紫氏の端城といわれる(福岡県の城より)。亀ノ尾城の出城とも(福岡県の中近世城館跡IIより)。
標高138mの松尾(老林)山の頂上。本丸は三日月状で北に開いた状態である。 周囲を低い土塁で囲っている(下段最左)。 北は崖になっていて、南斜面に曲輪(二の丸、三の丸)が段々に存在し、 堀切や畝状竪堀で守っている(下段2,3画像)。 また、北西斜面を下ると、堀切があり(下段左4)、土橋状の道を進むと竪堀が数条落ちており、 道は土塁を登り堀切となる(下段最右)。さらに自然道を登るとII郭があったようだが、 今回は未確認。

老林城遠景 老林城堀切
主郭と土塁 南端のUの字の竪堀の起点 南端の堀切 北西の最初の堀切 北西の2本目の堀切"

一ノ岳城

那珂川市

千葉氏の築城という。 その後、勝尾城の筑紫広門の支城。 勝尾城が攻められ落ちる度に、この城に逃げ込んだ。 だが、秀吉の九州征伐前に大友方に寝返った筑紫氏は秋月・島津軍に攻められ、 勝尾城では広門が降伏し、 この一ノ岳城も家臣の山田河内守が守ったが遂に落城した。
南畑ダムの脇から登り口がある。屋敷跡なのか、石塁がある。 林道から登山道に入り、しばらく行くと、曲輪跡らしき箇所に出て、 少し行くと、長方形の平坦地に出る。屋敷跡と云う。 さらに登ると、二の丸と小高い曲輪(亀の尾方面への道へ繋がる)がある。 二の丸の北側には2段からなる石塁が今も残る。 二の丸を過ぎ、上がって行くと、本丸に着く。 本丸には櫓台の跡や西には石塁がある。 北西、北東に腰曲輪が存在する。

一ノ岳城本丸 一ノ岳城本丸石塁 一ノ岳城二の丸石塁

亀の尾城

那珂川市

秋月・島津軍に攻められた時に、一ノ岳城とこの亀の尾城とに籠ったが、 先に包囲され、落城した。
ダムの麓から行く街道沿いには、屋敷跡なのか石塁で段々となった所がある。 そこを過ぎると、亀の尾峠に出る。そこを西に行くと一ノ岳城。 東に行くと亀の尾城に出る。亀の尾城の遺構ははっきりしない。 北西から南東にかけて細長い構造になっている。 南東端に土塁らしき構造が見られる。

亀の尾城1 亀の尾城2

白土城

那珂川市

歴史的背景は不明。坂本峠越えの敵に対する番所的な役割か?
佐賀橋バス停のすぐ横にある。 山頂には地蔵があり、細長い構造の平坦地となっている。 規模は小さい。

白土城地蔵 白土城本丸 白土城遠景

鶫ヶ嶽城

古賀市・福津市(旧福間町)

米多比氏の居城。その後、立花城の支城として、大鶴宗松が城番となった。
古賀市と福間町の境にある、つぐみ岳の頂上付近。 清滝にある清瀧寺裏から古賀市登山協会による登山道がある。 本丸は、平坦に長方形の形をしている。北側にかすかに土塁の跡がある。 そこから西山への縦走路・南に5m程下って、曲輪がある。 清瀧寺・西側から登ると、かすかに竪堀らしい跡が残っているのが分かる。
『福岡県無名山301』で『福岡県の城』に未掲載の城跡と記載されてあるが、 単に、この"つぐみ岳"の所在地が前者では古賀市で、 後者では福間町になっているだけであった。

鶫ヶ嶽城本丸1 鶫ヶ嶽城本丸2 鶫ヶ嶽城本丸3 鶫ヶ嶽城遠景


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