宗像氏の城として築城された。占部氏が城主となったと伝えられる。
現在は神湊の突端にある宗像神社の鳥居を登りきったところにある。
本丸と出城の間には石塁の跡が歴然と残る。
本丸からの眺望が効かないのが残念なところ。
その他にも竪堀跡が出城の脇にあり、本丸から先への道を辿ると、
段々になった曲輪跡も存在する。
土豪・梅野土佐の築城。その後、宗像氏家臣の野仲氏の居城となった。
そして杉氏の家臣跡部氏が入り、大友氏に落城され、結局、秋月氏の出城となった。
現在は鞍手町による公園化で整備されて、すぐ下まで駐車場も設置されてある。
東側の緩斜面に階段状の曲輪が20段以上も続いて、綺麗に残っている。
本丸直前に土塁、空堀、土塁となり、
本丸には建物跡や南側には虎口の跡、井戸などが残る。
黒田長政4男隆政が東連寺藩藩主として現在の直方に入った。
その際、多賀神社を現在の位置に移し、神社のあった妙見山に居館を置いた。
多賀神社の裏手にある小高い山が跡であるが、遺構はよく分らない。
現在は多賀公園、石炭記念館、体育館となっている。
秋月24城の1つ。秋月氏時代は、
吉瀬因幡、吉瀬主水正を城番とした。小早川氏が筑前に入ると仁保隆康を城番とし、
黒田氏が入ると栗山備後利安に守らせたが、一国一城令で廃城となった。
現在の麻底良山頂上にある。普門院から登り熊野神社に碑があり、
しばらく果樹園を過ぎつづら折りの道を登ると曲輪の跡らしき箇所に出る。
頂上には上宮があるが、その西側には1段下がって二の丸跡がある。
すこし薮に覆われる。さらに本丸から北東へ1段下がったところに
舞鶴城、琵琶丸などの曲輪が存在するようだが、
それに至る道は薮漕ぎなくして進めず、ある程度までは頑張れば行ける。
確かに石塁で1段高くなっているようだが、それ以上進むのはやめた。
大友氏と秋月氏との原鶴の戦いの時に秋月種実がここに陣を布いたという。
現在、展望ホテルが建ってある高山が城址らしい。観音堂のある場所に城址碑がある。
遺構はよく分からない。
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