大友氏家臣の小川伊賀守の居館。天満宮が館跡という明確な遺構はないようだ。
元応年間(1319〜21)に菅治部大輔藤原永家の子孫が地頭職を得て館を構えた。
その後、大友氏に仕え、秀吉の九州征伐後は小早川隆景から庄屋職を命ぜられたが、
永禄4年(1595)六左衛門の時に滅んだという。(現地説明板より)
八幡宮の境内に伝法庵跡から掘り出されたという菅氏由来の墓石と供養塔が残っている。
白鳳神代良続が館を構え、永世(1504〜21)対馬守顕元は肥前に去ったという。(『福岡県の中近世城館跡IV−筑後地域・総括編−』より)
安国寺の北側にあったとされるが、これといった痕跡はない。
西側には甕棺墓群が発掘されており、古くから人の住む所だったのだろう。
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