鎌倉時代、北条光時が鎮西探題としてここを居城とした。
戦国期になると龍造寺氏の持ち城となったらしい。
現在は畑と民家となってしまって遺構は全く感じられない。
ただ付近を昔の街道が通り、交通上の要地であったようだ。
高橋鑑直の居城。
こちらも遺構は土塁が少しあるというがはっきりしない。
すぐ西を流れる宝満川を考慮しての築城か。
花立山の頂上にある。室町時代に北朝方の少弐頼尚によって築城された。
戦国期になると秋月氏の居城となり、秀吉の統一後は小早川氏のものとなり
、その後江戸期に入り廃城となった。(福岡県の城より)
山頂には日方神社があり、「山隈城本丸跡」の石碑が立つ。
南側の斜面に3本逆V字の堀切が残る。熊蜂が飛び交う中、西へ下ると、尾根上に郭が2つ続く。
一方、山頂から北西に郭があり、北東にも愛宕神社が立つ郭がある。
その先に逆V字の堀切3本あったようだが見逃してしまった。
小早川時代にも使われた割には凝った遺構がない。
大刀洗の甲条城の出城。
現在は住宅地ばかりで遺構ははっきりしない。
久留米藩の有馬家の支藩として15年間だけ存在した藩の城。現在は 三井高校となって遺構はほとんどない。
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