里見義弘が北条氏に対する海防の要地にするために、
岡本随縁斉から譲り受けて、元亀3年(1572)に完成させた。その後、
義頼、義康二代の居城であった。
天正18年(1590)秀吉により上総を没収され、館山に移った。(現地説明版と『房総の城郭』より)
現在は里見公園、さらには国指定史跡となっているが、本当にそうなの?というくらいの整備具合だった。
公園の中心が主郭で(最左画像)、海側に岩盤状の櫓台跡があり(左2画像)、堀切が1条ある。
反対側に進むと台地から下り、堀切がある(左3画像)。石塁のなどあるが後世の物か(最右画像)。
反対側の郭は果樹園か、蘇鉄もあり、遺構はよく分らなかった。
さらに北東に行けば、枡ヶ池と呼ばれる水掘があったらしいが確認しなかった。
15世紀後半から天文3年(1534)里見義豊が内紛で滅亡するまで、前期里見氏の本拠であった。
とってかわった、里見義堯が本城を、滝田・宮本方面に移したために廃城となりそのままの形で残っている。
(現地説明版より)
主郭は東側に土塁があり(最左画像)、北と西に展望が開けている(左2画像)。
北東に伸びる尾根上には、深い堀切があり(左3画像)、
さらに竹林を下って行った所には、土橋と堀切の遺構が残っていた(左4画像)。
東側の麓に住宅が数棟あるが、井戸も残っていたりと、東側に伸びる尾根も郭なようで、
館などあったかもしれない。
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