元弘4年(1334)に大光寺楯から逃れた曾我氏らが立て籠ったが、
幕府方に属いた在地の勢に落城された。
天文2年(1533)南部高信が津軽に侵攻し、ここを本城とした。
が、元亀2年(1571)大浦為信の奇襲に落城し、高信は自刃した。
慶長5年(1600)為信が大垣に出陣すると、
城代であった板垣兵部将兼は多田玄蕃、尾崎喜蔵と共に叛旗を翻したが、
反乱は鎮圧され、落城した。
猿楽館、月館、坊ノ館、寺館、高田館、茂兵衛殿館、寺山館、孫兵衛殿館、
小山館、八幡館、新館、岡館、からなる十三館の本城であった。
現在は、大仏公園となって、小さな運動場となって削られてしまった部分もある。
最高地点が本郭のようで裏は切りたった崖で平川が臨める。
狭い削平地が麓まで続いており、小さな石仏が多数祀られており、
後世の改変も否めない。
このページの著作権は、作者に帰属します。 画像などの2次利用は御遠慮下さい。