陸奥1



根城八戸城浪岡城弘前城堀越城

根城

八戸市【最寄り駅】JR東北本線八戸駅

南朝方の南部氏により室町初期に築城された。 江戸期まで続き、遠野へ移封となり廃城となった。
現在は発掘後整備公園化されて忠実に復元されてある。

根城1 根城2

八戸城

八戸市【最寄り駅】JR八戸線本八戸駅

八戸藩の居城。
現在は三八城公園となっていて初代藩主南部直房の銅像がある。 天守台跡なのか小さな丘があるくらい。

八戸城1 八戸城2

浪岡城

青森市(旧浪岡町)【最寄り駅】JR奥羽本線浪岡駅

北畠顕家の子孫、顕義の時に築城したと推測される。 一時繁栄したが、 その後、永禄5年(1562)浪岡御所の具運が川原御所を再興させた叔父の具信に殺害され、 衰退し、天正6年(1578)大浦為信に攻められ、北畠顕村は捕えられ滅亡した。 その後も天正13年(1585)に油川城攻めの際に拠点になっており、 しばらく使用されていたと推測されている。
浪岡川と正平津川の合流点の北に位置し、 新館、東館、猿楽館、内館、西館、検校館、北館、無名の館からなる。 新館、無名の館は住宅地や農園となっているようであったが、 それ以外は公園化され、遺構は良く残っている。 館と館の水堀の間に島状の土塁が残っているのが特徴的である。 掘立柱建物跡、竪穴建物跡、井戸跡等発掘され、発掘調査が進んでいる。 西館、検校館は未調査である。
(『浪岡城-中世城館の復元-』より)

北館から内館 猿楽館 内館虎口

弘前城

弘前市【最寄り駅】弘前駅・弘南鉄道大鰐線弘前中央駅

慶長8年(1603)に津軽為信により堀越城から本城移すべく計画され、 同12年に2代信建、さらに為信が亡くなり、慶長15年に着手、 翌16年に完成した。寛永4年(1627)に落雷で南西隅にあった五層の天守閣は焼失し、 現存する天守閣は文化8年(1810)に蝦夷地警備の功績を認められた9代寧親が、 隅櫓の改修を理由に着工、翌年完成させたものである。 (大系・弘前城資料館資料より)
天守閣、東内門、南内門(右画像)、追手門、北門、東門、辰巳櫓、 未申櫓、丑寅櫓が現存する。

天守閣 館神跡から天守 南内門

堀越城

弘前市【最寄り駅】JR奥羽本線石川駅

建武3年(1336)北朝方の曾我太郎貞光が築城したことが文献で確認されている。 元亀2年(1571)大浦為信はこの堀越城から出陣し、 石川城を急襲、落城させ、南部(石川)高信を討った。 文禄3年(1594)に大浦城から本城を移した。 慶長7年(1602)に天藤騒動などあり、高岡(現弘前城)へ本城を移す計画を立てた。 が、2代信建、初代為信は京都で病死し、 慶長15年(1610)3代信枚が築城を始め、翌年完成し、その後廃城となった。
昭和60年に国指定遺跡となり、平成10年から史跡公園として整備するために、 発掘調査を行っている。 熊野宮のある本丸を囲む土塁とその外に内堀、 さらにその外に、二の丸と土塁、外堀が、さらに三の丸が残る。 三の丸は国道7号に寸断されている。

二の丸土塁 本丸虎口 内堀


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