国宝。天守閣は個人所有として他に例を見ない。
尾張藩主徳川義直に付けられた家老成瀬氏が城主。
木曽川が綺麗に見渡せる。
→その後、2004年から財団法人「犬山城白帝文庫」に所有者が代わった。
天文6年(1537)に織田信康により築城された。
天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いの際には、大垣城主の池田恒興が急襲し、
犬山城を奪い、その後、秀吉が大坂より入った。
関ケ原後、元和4年(1618)尾張藩付家老成瀬隼人正正成が城主となり、歴代成瀬家が城主であった。
天守閣、本丸の手前に堀がある(左3画像)。
少なくとも、信長時代には天守閣はなかったはず。あるとすれば、 その後の福島正則時代にはあったのか?ここも、時間制限に引っかかり 中に入れず終い。まあ、清洲古城跡は見ることは出来たが。
桶狭間の戦い
の前に、今川家家臣岡部元信に落城させられた。
今は見ての通り、単なる児童公園に。
田楽狭間と云うのが正式とも聞く。今川義元が信長軍の前に奇襲に遭い、
戦死した地。
現在は公園化されている。
桶狭間の戦いの前に、松平元康(徳川家康)が見事に大高城に 囲む織田軍を翻弄して、食料補給に務めた。
徳川家康の生母於大の方(伝通院)の実家があった水野家が城主。
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