BS-iで観戦。ハラハラさせられたが、『入替戦=福岡』の等式はまだ健在。 今後の落ちないグッズの売り上げのためにも入替戦を勝って残留せねば。
上柚木陸上競技場で200円払って個人利用。 他に走る者もおらず、まさに貸し切り状態。 そこまでは良かったが、練習状態は懸念される内容だった。
雨の降る中、黙々と走る。寒い。 陸上部の高校生なのか、雨が止むのを待っていた。
競技場で走った後、下柚木にある、永林寺へ。
地図で確認して到着。山門は歴史を感じさせる作りで、
こんな所があったのかと。城址への看板もあったが、
石碑だけで遺構は分らなかった。
その後、城郭大系にある城址を探して下柚木をチャリで探したが、
開発の波に飲み込まれたらしく、なかなか見付からなかった。
そんな中、大石やかた公園を見付け、
その上に大石信濃守屋敷跡のサルスベリがあった。ここも遺構は分らない。
松木に出て、首都大の南側を走ってみたが、遺構は消滅したようだ。
南大沢7:39で調布で乗り換え、明大前で井の頭線に乗り換え、渋谷8:37着。
Webでは新宿乗り換えよりも余裕があったからの選択。
山手線で品川に出て、京急に乗り換え、羽田9:16着。やれやれ。
10:05羽田から山口宇部空港へ。羽田ではバスで移動。ランナーぽい人は見当らない。
山口宇部空港に着いたら、暖かい。本当に明日天気が崩れるのか信じられない。
ともかくバスで新山口駅に移動。防府までの山陽本線上り電車岡山行きまでの、
間隙を突いて、立ち食いうどんをすする。前日に空腹飢餓状態を設けてしまうのは大変まずい。
防府に着き、サティを物色して、開会式のあるアスピラートへ。
延岡と違って、飯も出ないもののせいか参加者も少なかった。
受付を済ませ、ゼッケンを貰う。15:20発のコース下見バスまで、余裕もあるので、
とりあえずホテルでチェックインすることにした。
ホテルで行って、手続きまでは難なく済んだが、15時からチェックインらしく、
掃除も終わってない状態で、多くの客が待たされた。
なんとか15時過ぎに部屋に入り、軽く走って、防府駅港口へ。
2号車に乗り込む。出発して、一旦、往路復路のコースを経て、競技場へ。
下りて、トラックの辺りまで歩く。テレビの準備など、いよいよという雰囲気で清々しい。
果たしてこのゲートを通ってゴールできるのかはかなり不安である。
バスはコースをそのまま走らず、周回コースから、
そのまま、22.1kmの折り返しをして、復路に入り、市役所の前を通って、
防府駅に着き、そこで解散。
眠たくて気持ち良くなりかけていた時だっただけに損をした気分だった。
下車して、ホテルに戻らず、そのまま通り過ぎて、防府天満宮へ。
何年振りだろうか、懐しい。あの時は、参拝の帰り際に、
ロイホでパフェを食べ、それだけでは恥ずかしいのでコーヒーも飲んだ。
雰囲気のある、参道でもある萩往還を北上し、参拝し、ホテルに戻る。
練習している人を多く見掛けた。練習でもスピードは結構速い。
ということで日没間近で慌てて、着替え、軽くジョグルことにした。
なんとなく長い距離も走る気にもなれず、12分ちょいで終了。
いまさら練習で頑張っても仕方ないし、と言い訳付き。
汗を流した後、駅前に出て、晩飯を物色。
店の数が少ないので選択肢が絞られ、それでもあれこれ迷った挙句、
新装オープンしたて?の和食鍋料理屋へ。1人で鍋料理屋に入るのは正直気がひけもした。
奮発して、豆乳鍋そして、雑炊を。
肉が少ないなと思っていたが、1人鍋後は結構腹がくちていて、
雑炊を食べて、腹8分といった感じ。小雨が降って来た。
サティで苺のショートケーキを1つ購入。
これも若干気が引けたが、明日のために食べることに躊躇はない。
ホテルに戻り、ケーキを食べ、明日の関門ギリギリの時間を計算すると、
22.1km-1'30'00(<=4'04)、25km-1'42'00(<=4.04)、30km-2'25'00(<=4'10)、
35km-2'25'00(<=4'08)、41.795km?-3'00'00(<=4'18)と。
22.1kmの折り返しをクリアすれば楽になると思い込んでいただけにショック。
35kmまで気を抜けないし、そこまで持続するだろうのかとかなり不安だ。
第一ハーフまでは良いとしても、その後14km持つのか?
21時からBSの寅さんをいつものように見て、就寝。
7時に起きて、のんびりと準備をして、7:30頃朝食へ。
外は雨。予報通りとはいえ、憂鬱。
レストランはジャージ姿のガリガリの人達ばっか。
彼らはジャージ姿に誇りすら感じているようだ。
バイキングなので、遠慮することなく食べられて嬉しい。
小さい茶碗で御飯は2.5杯。パスタも。油物は極力控える。
結構満腹になり、コーヒーを飲んで、部屋に引き上げる。
チェックアウト前に出て、駅へ。
サティで大福3つを購入する。陸上競技場行きのバスに乗り、早速1つ食す。
2時間以上も前に陸上競技場に着いて、まずゲートを撮影。
着替える場所を探すが、なんとか、通路を確保できた。
寒い。控え所にはストーブもあった。が、このストーブの前に、
かなり暖かい格好をした、誰かの奥さんなのか、いすわって邪魔だった。
こちらは、薄着でこれから走るのにと、かなり立腹させられた。
通路で、とりあえず、大福を1つ食べる。
アップ着を着込んで、外へ。一旦、雨が上がり、
陸上競技場外周を軽く散歩する。
1時間前になったところで、外周を1周、トラックを2周し、アップ終了。
雨が降って、気温も下った。前線が通過しているのだろう。
着替えの通路の横の10kmに出る常連というおじさんと、最悪ですねと話す。
ネガティヴな会話ながら、それを楽しんでいるような雰囲気があった。
完走できる自信は全くない。しかもこの天気じゃ思いやられる。
20分前になり、選手らがぞくぞくと外へ向かい出した。
結局、長袖を下にしてその上にランニングを着ることにした。
6〜7分前でも、雨のせいで、控え所でみんな待機し、5分前を切った時点で、
トラックへ。ゼッケンの番号でスタート位置はある程度仕切られていた。
スタートはすぐだった。まずはトラックを1周。TV生中継の大会は初めて。
極力水溜を踏まないように注意したが、スタート直後は密集していて、
なかなか除けられない。競技場を出て、1kmを通過。軽く4分を切っていた。
まだまだペースが掴めない。左折し北上。
2kmも4分を切った。軽い。集団もまだ流動的で固まらない。
3kmも4分ジャストくらいで行き、ある程度感覚が掴めた。
行けるところまで行こう。5kmを19'43で通過。20'20が閾値なので37秒の貯金。
競技場の手前を通り過ぎ、東へ。ある程度集団も出来てきた。
10kmも19'46で通過。順調。体調は良いらしい。
と思っていたら、軽く脇腹痛らしい気配がしかけて来たが、
しばらくするうちに消えた。北からの風が強い。
まだ体力のあるうちは良いが、復路はこたえるだろうなと考えながら走る。
体調は頗る良く、体が実に軽い。
山陽本線手前で幼児達の応援に励まされた。
泊まったホテルの前を通り過ぎ、しばらく行ったところで、
後ろから女性ランナーを核とした、40人くらいの大きな集団に飲み込まれた。
4'04ペースの集団だろうか。
しばらくその中にいることにして15kmを通過。20'15。
ん、少し遅いか。集団は走りにくいこともあるが、
中にいると温かくて悪くもない。
そのうち正面の西からの風が強く、集団は細長くなった。
植松跨線橋に差しかかったところで、集団のペースが落ちたので、
そのまま置き去りにして前に行くことにした。
左側に自衛隊基地を見ながらしばらく行くと、パトカーを筆頭に、
先頭集団が来た。4〜5人だったか。
しばらく離れて、中継2号車と五十嵐選手。
やっぱりあの走り方だ。凄い。
折り返したランナー達を見ると励まされる。
20kmは19:59。悪くない。少なくとも22.1kmの最初の関門は越えられそうだ。
中間点も1'24'00強で通過(正式1'24'05)。
やや疲れを感じないこともないが、追い風に乗り、
折り返し点を1'28くらいで通過した。
折り返してみると結構後ろにランナーがいた。
関門に引っかかる人達も結構いるなあと考えながら走る。
油断するとこの先で掛かるかもしれない。
折り返し点を過ぎてから抜かれることもなくなり、
抜いて行くばかり。
しばらく行くうちに、同じくらいのペースのランナーと並走。
良いペースメーカーを見付けた。
25kmは20'10。やや疲れが出て来たか。
並走するランナーとペースを維持し、ひたすらランナーを抜いて行く。
後ろから結構速いランナーに抜かれたが、お互いに相手にしないで、
ひたすら同じペースを維持。二人三脚状態。
植松跨線橋で小生が登りを利用して、しばらく引き離したが、
しばらく行くうちにまた並走。疲れも出て来てはいるが、
並走するおかげでペースもキープできていた。
跨線橋を過ぎてから30kmまでの直線が長く、最後の方はペース落ちかけていたが、
なんとか19'57で30kmを通過。市役所の前を通り過ぎ、
駅の南側を通り過ぎたところで、
並走するランナーに置いて行かれたが、
しばらく行って、再び並走する。三田尻大橋で引き離したが、再び並走。
坂がああると体にアクセントが付いて生き返る。
34kmくらいで、エチオピアの招待選手が歩いていた。
35km手前で並走するランナーが前に出て、しばらく後ろを付いて行く。
35kmは20'07。なんとか、実質上の最後の関門を越えて、完走できそうだと実感できた。
が、疲労はどうしようもない。並走していたランナーとの差がみるみる広まり、
後続のランナーにも抜かれ出した。
おまけに西へ左折すると凄い向かい風でたまらない。
左足脹脛が特に痛みがあり、重く、体が前へ行かない。
エネルギーも切れかかっていて、糖分がなくなりつつある。
走るのを止めたいくらいにきつい。しかもこの直線の距離は長い。
うんざりする。途中で「まだ間に合うよ」と声を掛ける人がいた。
え、完走は無理かと。見たくはない時計を見れば、大丈夫そうではあるが、どこまで落ちるかも分らない。
ともかく、南に左折し、しばらく行くと残り3kmを通過。左折し、東へ。
追い風になり、かなり楽になった。楽しくなって来た。
ペースも少し上がった。40kmが22'46。なんだ、そんなに悪くもないじゃないかと。
完走は余裕で出来る。
しばらく行くと、「日頃の練習を思い出せ」と大声で応援してくれる人がいたので、
片手を軽く上げ、今できる満面の笑みで返した。本当にその通りだと。
まだ1kmくらいあってきつい。が追い風である程度行けた。
後続にも抜かれたが、マイペースで行くしかない。
競技場の前に差し掛かり、いよいよ右折し、ゲートをくぐる。
トラックに入ったが、スピードは上がらない。
同じくらいのペースの人にゴール200m手前くらいで抜かれたが、最後の直線60m手前で、
無酸素ダッシュをかけてみると、これが意外に行けて、ゴール直前で抜いてゴール。
すさまじい疲労感。
ゼッケン裏のタグを取ってもらい、温かいコーヒーをもらいゲートを出る。
すぐに飲み干し、もう1本もらう。
毛布を掛けてもらいたかったが、絶対数が足りないようで、そのまま荷物のある場所に戻る。
ゆっくりと着替えて、充実感と共に表彰式を観客席から眺める。
終了後、本日引退する五十嵐選手の引退セレモニーがあった。
以前テレビ観戦していて、ゴールゲート直前、発作で1位を逃したシーンが記憶に残る。
ファンの人が多くいて、見ていて、温かみにのある良いセレモニーだった。
駅までバスで戻り、とりあえず、サティで肉うどんを昼飯代わりに摂る。
新山口まで出て、50分の間隙を利用して、北口にある、
こじゃれたレストランバーで牛肉ピラフ。満腹には至らず。
コンビニでボールペンと腹の足しを買う。駅のベンチで祖母にハガキを書き、バスで、
山口宇部空港へ。この寒波のせいで東京からの便が遅れたせいで、
5分フライトが遅くなった。が、偏西風+この寒波で到着はさ程遅れもしなかった。
京急で品川に出て、新宿まで山手線、さらに京王で南大沢まで。
羽田から遠いのが疲れる。
5km毎の順位と総走者数
大吟醸ではないにしろ、フルティーさがあって美味い。
18切符を使うための遠征。三島まで一気に、京王相模原線、相模線、東海道本線で出るが、
山中城行きのバスは30分以上も待たねばならない。
予定を繰り上げて、韮山へ。
伊豆箱根鉄道で韮山へ。下車後、まず堀越公方跡へ。
駅前の地図を記憶に歩いて行くが、気配がない。
北条氏の菩提寺、長徳寺へ。少し行くと、北条政子の産湯の井戸があり、
やっと堀越公方跡を見付けた。が、埋め戻されたらしく、何もない。
さらに西へ北条邸跡へ行ってみたが、ここは看板すらなく、
駅の方向へ引き返す。
そのまま東側に出て、蛭ヶ小島へ。
頼朝が幽閉されていた所として有名であるが、何も残っている訳でもない。
韮山城へ向かう。
切り通しを抜けて、公園の中を通り、登ると、土塁や土塁に囲まれた曲輪である、
神社。さらに堀切・土橋を越えて、土塁に囲まれた曲輪。妙な作りだった。
本丸もはっきりしなかった。北条氏はよく分らない。
天ヶ砦への道を探してみたが、見付からない。
江川邸へ行ってみる。資料を置いてある館の中にいた説明員の人に聞いてみたら、
地元の人で、天ヶ砦への道を詳しく教えてもらえた。
まず、判官屋敷跡に行ってみたが、石碑も見付けられず、引き返し、
天ヶ砦へ、切り通しから、尾根道を登る。ロープもあって、
迷うことはなかった。が、痩せ尾根で、城としての機能を余り感じられなかった。
遺構としては、堀切くらい。
往路を引き返すつもりだったが、さらに奥へと道が続いているようなので、
遺構があると読んで下ってみる。
堀切と曲輪跡があった。車道に下り、反射炉へ向かう。
入場料を払い、説明員のマンツーマンの説明を受ける。
太郎左衛門は反射炉が出来る前に亡くなっている。
売店でサービスのお茶をいただき、西へ。
伊豆長岡駅に出て、修善寺へ向かう。
修善寺駅に着くと、温泉の玄関口でもあるが、ひなびた雰囲気もある。
観光案内所?で修善寺城について聞いてみたが、
道は知らんし、何もないぞと。
そんなの知ったこっちゃない。勘を頼りに行くことに。
修善寺温泉の方へ歩いて向かう。
伊豆市役所側から登り口を探すが、見当たらず、
修善寺ICの方へ。国道136号線を南下し、探すと、トンネルがあり、
その上に道があり、行けそうな雰囲気を感じた。
登ってみると、勘は正しく、山道を登って行くと、頂上へ辿り着いた。
ロープウェイの駅が遺跡となっていた。
山頂は電波塔があり、石塁があったが、いつの時代か判断できなかった。
日没も近いので、往路を引き返し、駅まで戻る。
温泉に入る暇はなかった。駅前の酒屋で純米吟醸酒を買い、三島へ。
三島から18切符で、茅ヶ崎経由で帰宅。
北野駅までバスで出て、高尾山口へ。
高尾山口では、ザックからなんでも売っていた。手ぶらOKらしい。
GPSを受信をするのに時間がかかる。
舗装路をひたすら登って行く。道は結構、急。
野鳥観察らしき集団を抜いて前へと。
ひたすらアスファルトで味気ない。
ケーブルカーの駅を通り過ぎ、人が増えた。
寺院の境内を通って、とにかく山頂へ。
少年野球の少年に挨拶されたので、返した。
山頂は、かなりの人で、富士山が臨めた。
おにぎりを1つ食べ、城山へ向かう。
縦走路に入ると、人足が減り、実に良い。
一丁平を過ぎ、ぬかるみが多く、滑りやすい上に、靴等が汚れ、うんざりする。
縦走路はかなり良くて、環境の良く、今後もお世話になるだろう。
しばらく行くと、城山。おにぎりを1つ食べ、
景信山へ向かう。
いったん、小仏峠まで下る。明治天皇の碑などがあり、茶店が閉じて、
廃虚となっていた。
再び、標高を上げて行く。
走っている人が結構いることが新鮮だった。最後の急斜面を登ると、
景信山頂上。山頂を撮影し、バーナーで湯を沸かし、ラーメン。
寒い時には実に良い。あまり休んでいると、体も冷えて寒い。
来た道を引き返す。陣馬山までも行けそうだが、無理はしないことにする。
小仏峠まで走り易そうな所を走ってみる。
やれそうだ。装備気な面を勉強する必要はありそうだ。
城山を経由せず、迂回路で一気に、一丁平を経て、高尾山へ。
高尾山が近付き、秋葉山経由で下ろうと画策してみたが、
どうやらルート整備らしく進入できない。
仕方なく、しばらく往路であるケーブルカーへの道を行き、
分岐を谷へと下る。麓まで下りて来たところで、
かなり軽装の2人組に、15時だったが、1時間くらいで登れますか?と聞かれた。
突然聞かれても、当人達の力量は存ぜぬわけだし、返答に困った。
まあ、そのくらいで行けるんじゃないでしょうかと、返さざるをえなかったわけだが。
駅まで戻り、北野駅でバスに乗り換え、爆睡して帰宅。
記憶なし。
前日というか、25時半くらいに帰宅し、寝たのは3時過ぎだったか。
橋本で18切符に検印し、茅ヶ崎へ。
茅ヶ崎で東海道本線9:08発へ。熱海で乗り換え、10:16発で静岡に11:34着。
静岡発11:36、12:46浜松着。浜松発12:49で豊橋着13:21。
豊橋発13:37、尾張一宮下車。長かった。
重たい荷物を持って乗り換えはしんどい。しかも乗客は多かった。
一宮では、石碑のみだが、東へ歩き、銀行の前に発見。
デジカメを持って撮影するのが、ややこっ恥ずかしい。
すぐに済ませ、駅に戻る。何やら電車が遅れているらしい。
次の木曽川駅下車。黒田城も駅近くで、ほとんど石碑のみと云って過言でない。
重たい荷物を背負い、15分弱で駅に戻り、待ち時間もなく岐阜へ。
岐阜駅で途中下車し、加納城への道を確認するために、
観光案内所へ。聞いてみると意外に明快な答が。
地図を貰い、駅を南に、迷うことなく行けた。
やや閑散とした雰囲気があるが、今迄の2つに比べれば良い。
駅に戻る。米原行きの電車に乗る。
いつのまにか寝ていて起きたら、真っ暗だが、辺りは雪。
懐しい、近江長岡。滋賀県は良い。
米原で新快速に乗り換え、一気に京都まで。
通過する稲枝駅も懐しい。やっぱり滋賀県は良かった。
また寝る。
京都で下車し、駅前の京都銀行で記帳しておく。
実家の土産に、自分の中の3本指に入る、
松本酒蔵の
『桃の滴』純米大吟醸1800mlを購入。
地下街Portaの銀座ハゲ天で夕食。
隣の外国人家族が妙に気になった。
食し終え、プラットホームに入り、あかつきに乗車。
やはり個室は良い。就寝。
18切符:5780+180+190+1890=8040
予定通り6:53に佐賀に着いた。寝ている家族を起こさぬよう、
そっと入り、こたつに潜り込み寝る。
昼食を両親と父親の車で行き、その帰りに入院中の祖母を見舞う。
ボケは進行していたが、認識はしてもらった。
だらーと、『結婚できない男』の後半部をみんなで見た。 前半部は見たことがなかっただけに悔やまれるが、まあいいか。