用事を済ませ、名古屋青年会館YHへ。何年振りだろう。記憶と変わりはない。
部屋には外国人が1人寝ていた。部屋に入って来た、日本人と少し話した。
とりあえず、飯を一人で食いに行く。
近場で探していると、穴子丼に負けて寿司屋へ。
まだ早かったせいで、客はおばちゃん1人で、
穴子丼を宣言すると、ランチメニューとのこと。
思わず、絶句したが、仕方ないので金銭的に無難な、銅にぎりを。
金銀銅のランク付けで推して知るべしといったところ。
そんな銅にぎりなので食い終わるのも早い。侘しい。
帰りにコンビニで明日の朝食といなり寿司を購入。安い。
YHに戻り、しばらくのんびりとしていると、外国人のおっさん2人ともう1人青年も加わり、
3人で会話が始まった。こちらは本を読みながら、時折リスニング。
リスニング能力に難がある小生だが、部分的には理解していた。
そうとは知らないのか、彼らは日本人の対応などをネタに笑い話もしていた。
Can you speak English?に対し、A littleばっかだよと盛り上がっていた。
それと、Sumimasenがあらゆるシチュエーションで有効であるとか。
22時過ぎて日本人の青年が帰って来て、さっき九州でどこかお薦めの所はないか聞かれていたので、
別府から阿蘇までのやまなみハイウェイを挙げておいた。自信を持って。
8時過ぎに出発し、小牧を目指す。
一旦名古屋駅まで行って荷物をロッカーに預ける作戦を採る。
ラッシュアワーなので逆流し、ロッカーへ重たい荷物を預ける。
身軽になったところで、桜通り線で久屋大通で乗り換え、名城線へ。
環状になって乗るのは初めてな気がする。平安通りまで行き、上飯田線・名鉄小牧線に乗り換える。
ラッシュとは逆なので人もまばらで、車両も綺麗で良い。
今回は予定では乗車運賃で2000円を越える試算だったので、
名古屋駅からはトランパスの2000円分を購入した。200円のお得だ。
トランパスのネーミングについては、グランパスともかけているのか?
意外にサロンパスだったり。しないか。
ともかく小牧駅下車。すぐに小牧山へと向かう。
土塁の内側は公園となっていた。城址である小牧山を登る。
かつての遺構も公園化でやや削られてしまった所もあるようだ。
歴史館に入り、小牧長久手の戦いの説明が良かった。
付近の城址・砦跡について書かれたある資料を迷うことなく購入。
現地でしか手に入らない資料の価値は大きい。
歴史館のすぐ下に信長時代の物と伝わる石垣の石があり、
さらに下へと下ると、見事な竪堀があった。
周回コースを歩いていると、小学生の遠足の集団と擦れ違った。
北側の道を下り、さきほど購入した資料に記載されてあった、
蟹清水砦跡へ。石碑しかなく、全くどうしようもない。
小牧駅の反対側にある、二重堀砦へ。
民家の軒先を進んで行くが、意外になかなか見付からない。
歩く速度を落とし、落ち着いて探すと、ここも碑だけながら、
小さな社と共にやや控えめに立っていた。
駅へと戻る。
桃花台線の入口が暗く閉ざされていた。廃線か。
(9/30に廃線になったばかりだった。)
次の小牧原駅で降り、田中砦へ。桃花台線の高架の麓。
ここも古墳の横に石碑だけ。
次は味岡駅最寄りの岩崎山なので、歩いても行けそうなので、
というより電車に乗るのも金銭的にもったいないので、そのまま歩く。
コンビニで飲み物と食物を補給し、ひたすら歩く。
岩崎山はこれまでの城址とは違い、山であっただけ、なんとなくそれらしい雰囲気はあった。
ただ満足行く程の物ではなかった。
味岡駅から再び名鉄に乗り、楽田駅下車。
楽田城跡は駅からすぐ南東に行った所にあり、
かつての面影もなく土塁の跡と云われる所に石碑だけ。
撮影を済ませ駅に戻る。やや虚無感が残る。
再び名鉄に乗り、次の羽黒下車。
隣接する興禅寺は、山内一豊の母親の菩提寺としても観光スポットになっているくらいで、
期待大。まず興禅寺を見て、お楽しみは後から。
城址までには標識もあり、期待感は嫌が上にも高まる。
説明板も新しく作られていた。但し、蚊が多い。
城址へ入ってみると、石碑が土塁の上にあるだけで完全な竹薮となっており、
私有地であるらしくロープも張ってある。
まあ、これだけ荒れていると入る気もかなりうせるだろうけど。
失意のうちに羽黒城を離れる。駅に戻って、犬山まで行っても良かったが、
電車待ちをするのが嫌だったので、犬山市街地まで歩くことにした。
さほど距離もないと思っていたのは誤りで、30分以上も歩いたか。
朝からの疲労が少しずつ増幅される。
駅前まで来て、愛宕神社へ。
ここに木ノ下城の碑がある。遺構はないに等しい。
撮影し、数年振りに犬山城へ。その記憶を頼りに線路を越えて歩けども気配を感じられない。
よくよく地図で確認すると線路の向こう側だった。
記憶とは頼りにならないものだ。
気分を換えて、公園へ。
始めは遠くから遠景のみを撮影するつもりだったが、
どうやら入場料を払わないと撮影ポイントもないようで、屈っする。
経営も個人から財団法人へと移行されていた。
本丸手前にある空堀は深く見事だった。
城下町にある資料館も犬山城の入場券で入れたので寄って、
城下町界隈の雰囲気を味わい、犬山駅へ。
今度は犬山線で、柏森駅下車。やや離れてはいるが、大口町の小口城址へ。
小牧山で買った資料にある地図を頼りに、住宅地を歩き、
望楼らしき麓に着いて探すと、その望楼自体が城址であった。
公園では小学生が遊んでいて、迷惑にならぬようにこそこそと遺構を撮影する。
土塁しか残っていなかったようだが、壁や堀、望楼を再現したらしい。
柏森に戻るが、住宅地の中の道はかなり複雑で、
最後の最後で間違った道に入り、やや遠回りして駅に着いた。
まだ日没まであるので、今度は布袋駅下車。
再び資料を頼って、小折城址へ。
雰囲気のある道を南下すると、保育園の脇に石碑のみが立派に立っていた。
これだけでは満足もできないので、
信雄の守り神であったという龍神社にも寄って、駅へと戻る。
さすがに疲労し、名鉄で名古屋駅まで戻る。
コインロッカーから荷物を取り出し、新幹線で帰京。
桂を出て、高槻で乗り換え、
前日に買っておいた鉄道記念切符を使用。
大阪、和歌山で乗り換え、
一気に御坊まで。9:45に着いた。天気予報では晴れだったのに、
かなり遠くを北上する台風のせいか天気は冴えない。
低く垂れ籠める雲が気掛りではあるが、今さら引き返す訳もない。
亀山城は駅の北側の山で見えてはいるが、予想よりも低い。
駅を出て、東へ行き、登山口が分らないが、ともかくアプローチ。
住宅地を通り過ぎると、標識があり、それに従う。
山に入ると、みかん畑のせいか、結構な石塁があり驚かされる。
このまま舗装路を行ってもつまらないので、
途中から城址へ行くであろう脇道に入ってみた。
やはり、この道の途中には城址らしい遺構もあり、やや薮化もしかけてはいたが、
間違った判断ではなかった。
ほどなく山頂の本丸に出た。公園化されてはいるものの、
土塁や虎口は綺麗に残っていた。熊蜂がいたのが気掛りだが、
狭い山頂をうろちょろし、次の御坊発9:48に乗るべく下る。
登りとは違う道を下ってみたせいで遠回りになったが、駅にはかなり余裕を持っ
て戻った。時間があるので、近くの湯川神社へ。屋敷跡であったらしいが、
水堀が残っているくらい。一応、石碑があった。
まあ満足できて駅へ戻る。予定通り、紀伊田辺へ。
浅田次郎の「地下鉄に乗って」を読んでいたが、
到着前に、最後のクライマックスにさしかかり、
呆然とした状態で11:40に紀伊田辺駅に着いた。
いかにも観光地という駅前を抜け、目貫通りを海へ向かう。
何かの祭りらしく、はっぴを着た大勢の地元住民が楽しそうにしていた。
そんな祭りとは無関係に、水門しか残らない城址まで行き、
淡々と撮影し、時間的余裕もないので駅へと戻る。
せっかくなので扇ヶ浜に寄ってみたが、フリーマーケットで、
ごった返していた。祭りの雰囲気は無関係な人間でも悪くない。
気分が高揚する。12:28発の電車で御坊まで戻り、
13分の乗り換え時間もあって、13:30御坊を出て、
13:57紀伊宮原に着いた。岩室城へ行きたいが、標識もなにもない。
記憶した地図と勘を頼りに行くしかない。
みかん畑のある斜面に向かうと、やっと標識登場。
それに従って進むと、細いみかん畑の脇道となった。
本当に合っているのか不安になりながらも強引に行ってみたが、
踏み跡もなくなる一方で、断念することにした。
引き返し、勘を頼りに舗装路を登って行くと、
山頂に向けて道は続くので、脇道であるが行ってみると、
再び標識があり、ほっと一安心した。
みかん農園のレールの脇をしばらく登り、それから登山道となった。
余り人気がなく、ここ最近踏み込んだ形跡もない。
道は迷うことはないが、予想以上に遠かった。
最後、尾根に出る前に道を見失い、強引に尾根に出るとそのうち堀切に出た。
少し行くと城址の標識があって、祠とかあった。
風が強い。この城址の裏手もみかん畑だった。
帰路は尾根上にある聖人の祠跡を見て、下ろうとしたが、
しばらく下れども道が下山方向に行かず、風も強く、薄気味悪く、
来た道を引き返し、往路を引き返した。
帰り道は余裕で、駅まで戻った。
途中で時刻表を見ると、すぐに紀勢本線の下りが来るので、
走って駅へ。一気に和歌山へ。
和歌山駅に下車し、東側にある太田城址である、来迎寺へ。
ここは石碑のみで撮影し、すぐに駅に戻る。
まだ日没まで時間もあるので、秋葉山周辺に行くことにする。
駅の西側に出て、観光案内所へ。
地下にあって、駐輪場のバイクの排気ガスのせいで臭い。
ともかくバスに乗り、秋葉山へ。
下車後、階段を登り、公園内を歩いてみたが、遺構らしい物は何もない。
山頂の広場に出ると、説明板があり、一応安心はしたが、満足には至らず。
下り、養珠寺へ。この裏手の山が雑賀城であるらしいが、
登る道がない。横の津屋公園の中に入ってみると、
登り道があり、登ってみる。南端には御堂があり、北へ行くと、
灯台?の跡なのか廃虚のようになっている。日が没っして次第に暗くなって来た。
道があるのでさらに北へ行ってみたが、
確証の持てる遺構はなかった。公園に下ってみると、
看板があり、説明書きがあり、一応安心した。
最寄り駅への紀三井寺駅へ。途中、コンビニで腹になる物を買い、立ち食いしながら駅へ。
改札を入ると下り電車が来る気配があり、ダッシュで楽々間に合った。
和歌山駅で乗り換えて、帰宅の途に就く。
鉄道記念切符:2520+740+1110+480+1620=6470円
東海道本線の遅れのせいか、京都発がやや遅れ、8:50過ぎにマキノ駅着。
マラソン客がどっと降りた。駅前からシャトルバスで一気にマキノピックランドへ。
受付でゼッケンと栗、Tシャツなどを貰い、公園内の空いたスペースを見付け、早速着替える。
10kmは10:30スタートなので1時間以上もあり、のんびり。
公園内の道を2周、ゆっくりとアップ。一旦、寝っころがって、リラックスしておく。
ハーフのスタート10:00になって、1周先程よりもスピードを速めてジョグ。
荷物を預けて、スタート地点へ。10分前を切っていたせいか、
比較的幅の広いスタートラインは結構人だかりがしていた。
さほどピリピリした緊張感もないので、前から5番目くらいに紛れ込む。
そしてスタート。
人が多い割に道路の幅が広いので走り出し易かった。
調子に乗ってしまい、ややオーヴァーペース気味だった。
このメタセコイア並木道は気持ち良い。もちろん、そんな悠長な気分には浸れなかったが。
始めこそ、良いペースで行けたが、知内川べりのサイクリングロードを北上すると、
北からのひっきりなしの強風とオーヴァーペースに苦しんだ。
久々のレースで、レース感がなくなっているだけでなく、
シューズもレース用は久々なので走っている感覚がいつもと違った。
前にランナーを見付けて風除けにしようとするが、ほとんど効果なし。
徐々に速度が落ちる。足の感覚も、つま先まで酸素が行き渡ってないようで、
力が入らない。だるい。給水所で水を貰い、体に全部かける。
気温はそこそこあった。7kmまで行くと、やっと西へ向い、しばらく行くと、
メタセコイア並木で、この直線道路を南下。ここで追い風になったようで、
やっと楽になり、ペースも上げられたが、自分の足で走っている感覚ではなかった。
とにかく、呼吸器系がきつい。後ろから来たランナー1人には抜かれたが、
疲れを見せ出した、前にいたランナー3、4人を抜き、なんとか持ち堪え、ゴール。
記録的には大したタイムでもなかったが、今シーズン初だから仕方ないか。
向かい風のサイクリングロードが堪えた。
記録証を貰い、ダウンのために1周軽く走り、着替え、会場を後にする。
田屋城址へと向うが、道がどこからあるのか分らない。
とりあえず、地図で確認しながら、辻集落まで出た。
ここから北西に行くと尾根に当たりそうなので、とりあえず、そこまで行ってみることにした。
集落を過ぎ、少し行くと、通電した鉄柵があり、中へ行くと、別荘が何軒かあったが、
夏が過ぎたせいか、人の気配はない。とりあえず、熊除けの鈴と、
ラジオを最大音量でオンにしておく。風が強いので音がかき消されなければ良いが。
人気のない別荘群にはまだ売地などあり閑散としていて不気味だった。
登山口も見付けられぬままに南下して行くと、目の前に鉄柵があり、袋小路。
来た道を引き返す羽目になった。やれやれ。
再び、慎重に辻まで戻り、南下。西森の集落に行ってみると、
田屋城址へ、という標識が現れた。しばらく行くと、案内板。
ここで、態勢を整え、再び鉄柵の中へ。すぐ右側にイノシシサイズのトラップがあった。
指示板のままに、つづら折りの坂道を、鈴の音、ラジオの音量を響かせて、
時に立ち止まり、時に辺りの気配を窺いながら、標高を上げて行く。
なんとか無事に城址に到着。一旦、日当たりの良いエリアに出ると、
奥まった薄暗い本丸のあるエリアに入るのは多少恐く感じる。
本丸は周囲を土塁で囲まれていて一見の価値があった。
しかも裏手に周ると竪堀や堀切がしっかりとあった。
すぐに日当たりの良い地点に戻り、屋根付きのベンチで、おにぎりを1つ食す。
そして、そそくさと下る。鉄柵まで何事もなく通過。緊張感で疲れる。
マキノ駅まで結構距離があり、先程のマラソンでの足の疲れが出て来る。
近江今津で乗り換えがあり、次の新旭駅下車。
今年の6月以来。駅前の郵便局で金を降ろし、北上。
日爪城の方向を地図で確認し、途中から北西へ。
家が少なくなり、熊に注意という看板もある。
そのうち標識もあり、やがて墓地へ。
道が尽き、うろちょろして、裏へ抜ける道を行くしかないらしく、奥へ踏み出す。
と、正面には鉄柵で向こうへには行けなくなっている。諦めきれず、
左を見ると道は潰えそうなので、柵沿いに右へ。
少し行くと、何やら遺跡の説明板と道が見えるが、柵の向こう側。
扉は開かない。柵沿いにしばらく行ってみたが、駄目そう。
諦めきれずに、柵をいじっていると、いとも簡単に開いた。
鍵のようなものを180度回転させるだけで良かったわけだが、初めはそれが鍵とは気付かなかった。
一応、熊以上の頭脳であることを証明できた。
さて、心構えをして柵の向こうへ。
鈴を装着しとラジオの電源を入れる。蜘蛛の巣もあったりと、人の気配はない。
しばらく登って行くと、土塁の手前へ。急坂を登ると、見事な堀切。
土橋もかすかに残っていた。
そこから入って行くと、曲輪は大して大きくもなく、左右は崖となった土橋へ。
土橋を登って行くと、送電線。こんなのがなければと思うが、
逆に開けていて、熊は少なくともいそうになく、小休止。
それでも、のんびりする程に度胸も座っておらず、土塁沿いにおそるおそるさらに奥へ。
堀切が2本あり、ここを登ると、さらに2本の堀切が。
少し奥へ行ってみたが、構造上、もう遺構はないだろうと判断し、引き返す。
一気に鉄柵まで行き、鍵を回転させ、外に出て、しゃばの空気を味わう。
駅まで戻るも、10kmマラソンのせいでかなりの疲労感だった。
焼酎を購入するのは初めて。日本酒に比べると確かに安い。 芋にしてはクセがないから小生は好きだ。
チャリで南春日のバス停まで行った。が、途中にコンビニで食料を調達するはずが、
経由した洛西ニュータウンにはコンビニがないままに、着いてしまった。
一応、ウィダーインゼリーを持参していてから、なんとかなるだろう。
天皇陵道右の碑を見て、勝持寺の方向へ登って行く。大原野神社の鳥居の前を通り過ぎて、
山へと入って行く。標識がないのが不安である。
人の気配もないので、鈴とラジオの電源を入れる。
山に入り、横への分岐があったが、まっすぐの道をしばらく行ってみたが、
どうも違う。おそらく違う道を来てしまったと理解した。
引き返し、分岐を行ってみると、南から来る道と合流し、
なかなかの太い道となった。しばらく行くと、小さなダムとなり、道は細くなった。
地図を見てみると、天皇陵道の付近には川はない。
再び引き返す。少し戻った所に、「←小塩山」の標識があり、やっと予定の道を見付けた。
道はなかなか良いが人の気配はない。ところどころ、赤いテープもあったが、
まず迷うことはない。しばらく尾根道を行くと、左から金蔵寺からの道と合流した。
周辺は平坦地となり、城跡ではなさそうだが、気になる。
これから道は、谷道を一気に高度を上げる。
森林公園への分岐を見送った後、ガードレールが見え、道路に出た。
道を下って来る2人組に会った。最初に会ったのが、熊でなくて良かった。
NHKの電波塔の麓に出ると、3人組が休憩中だった。
頂上がどこか聞いてみたが、はっきりしないどころか、視界も開けてないらしい。
とりあえず、淳和天皇陵を見て、外畑方向への道を探してみる。
NHKの電波塔の横まで行ってみたが、頂上に立ったという実感も湧かない。
別の電波塔の横から道があり、下ってみたが、
途中から道がはっきりしなくなり、無理をしないことにして、引き返す。
再び、鈴とラジオの電源を入れ、登って来た登山道を下る。
下りはかなり安心して行けた。
正法寺の所で道を曲がり、大原野神社の境内へ。
参拝し、南春日バス停へ。チャリに乗り、この付近の城跡を探してみる。
バス停近くの西迎寺の付近に行ってみるが、遺構は分らない。
ある程度予想の範囲内なので、気分を入れ換え、長峰へ。
神社の付近はかなり怪しげで、勘からすれば、おそらくここが長峰城跡だろうが、
確証が持てないのが残念なところ。坂を下り、灰方の集落に行ってみるが、住宅地となっていて、
なんとなく雰囲気は感じさせるものの、ここも確証が持てない。
不完全燃焼のままに往路を引き返し、帰宅の途に就いた。
京都で琵琶湖線(東海道本線)に乗り換え、米原で乗り換え、近江長岡下車。遠い。
新快速が敦賀まで行くようになったばかりで、京都から乗った電車も、
近江塩津行きと新鮮だった。
近江長岡からはシャトルバスで会場であるグリーンパーク山東へ。
雰囲気の良い公園だった。開会式のセレモニーでわざわざヘリを使って、花束を2回も投下。
多くの子供達が走り回っていた。
早速着替え、アップのために三島池を軽く周回する。
小高い山に登ってみたが、貯水タンクがあるだけでがっかり。
なんとなく臭ったのだが。15分前くらいに並び、全員でスタート地点まで移動。
前から6〜7列目。先週の跌を活かして始めは飛ばさぬようにするつもりだった。
その予定通り、8〜9割の力で集団に付いて行く。
先頭から数十人はだいぶ前を行き、徐々に淘汰され、
小生の周りも固定化された。前にいる人との距離も縮まらないし、
後ろの気配も感じない。ともかく、前のランナーに置いて行かれぬよう、辛抱の2文字。
風が南東から吹いてはいるが、先週程酷くはない。
5kmの部のランナー達と合流し、寂しさはないものの、
スピードが違うためにやや走りづらいし、スピード感も掴めない。
5km通過が18'12だったので、先週よりもかえって良い。
なんとか前のランナーだけを目標に付いて行く。
7kmくらいで三島池の畔で、少しずつ疲れも出て来た。
しばらく行き、5kmの部の方々ともお別れ。
道が曲がる時に少し後ろを確認してみたが、すぐに抜かれるような位置にランナーはいなかった。
前のランナーとの距離も変わらず、このままでは抜けそうにもない。
新幹線の高架の横を走り、旧街道筋のような道となり、調子は上がって来た。
なんとか持続はできそう。応援してくれる沿道の方々に軽く会釈する余裕があった。
それでも前との距離は縮まらない。
そのうち5kmの部と合流し、最後の直線へ。
最後は、公園内に入りにくく、スピードダウンしたが、
ある程度合格点を与えられるだけの満足行く走りが出来たレースだった。
着替えて、うどん引き換え券を持って、テントでうどんをいただき、食す。
かけた七味が妙にきつかった。抽選結果を確認し、上位3つの抽選は放棄し、城探索へ。
最近、岐阜県との県境の辺は熊が多々出没しているので、
今日は、山へは入らない予定。
会場からすぐ北側にある大原氏館へ。こんもりとした小さな森となっていて、
薮っている感じで、そこを強引に中へ潜入した。意外に中は綺麗?で、
奥にはお墓。私有地だったのか。
土塁や堀がしっかりと残っていた。ともかく、急いで外に出た。
会場の横を南下。三島池の横を通って、西山城へと。
小高い山だが、平野部の独立した山なので熊はいないだろうと判断。
一旦、墓地に出て、引き返し、木製のステップのある階段を登り、
さすがにしんどい。
小さな社があり、さらに道は続いていて、下ると、←城山城の標識があった。
よし、と確信し、階段を登る。頂上には、石碑があるだけで他には何もない。
いまいち納得できずに、八幡神社へと下る。
八幡神社の杉並木は秀吉が植えたらしい。
誰が植えたかどうかの是非はともかく、古木であることは確かで、厳かで良い。
近江長岡駅まで古い街道を歩く。駅近くの館跡は分らなかった。
次は長浜市にある館跡に行くつもりで、長浜駅までの320円の切符を購入。
が、よく調べてみると、降車すべきは長浜より手前の坂田駅だった。
米原乗り換えで予定通り、坂田駅に行くのはおそらく金銭的に損をすることになるので、
久々に彦根駅で降りて佐和山城に行ってみることにした。
なんともケチな理論だ。仕方ない。そういう風に出来ている。
彦根で降り、黙々と佐和山城へ。8号線に出て、山を登る。
ここも熊は出ないだろうと希望的観測済み。
数年前以来だが、やっぱり遺構らしい遺構はない。
目が肥えても印象はさほど変わらない。
太鼓丸の手前に堀切1本を見付け、少し幸せな気分に浸る。
太鼓丸へと行ってみるが、薮化していて収穫なし。
土塁の上を歩いていたようだが、撮影しても無駄だろうと判断。
本丸へと登ってみるが、当時の記憶よりもずいぶんと広い。
次は女郎谷から大手門の方へと下るために「←女郎谷」の標識を頼りに、
帯曲輪を伝ってうろちょろしてみたが、下に下る道はない。
仕方なく元来た道を引き返して8号線に出た。
トンネルをくぐり、北側に出て、大手門へのアプローチを探すうちに、
かなり下まで下ってしまった。左に曲がってみると、
大手門跡の木製の碑があった。この地点を指しているのか、
入口を示しているのか判断がつきかねた。
確かに田んぼと化してはいるが、土塁のような物も残っているし。
ともかく、中に入り、畦道を進んでみることにした。
田んぼを過ぎ、森林地帯へと行ってみると、切岸らしい跡もあるが、
道は潰え、これ以上強引に行くのを辞めておく。
再び大手門らしい所まで戻り、8号線に出て、彦根駅へと戻る。
当初は、米原から近江鉄道の乗り放題で途中下車をして近江八幡まで出るつもり
だったが、疲労感には勝てず、帰宅の途に就くことにした。
よく飲み屋では飲む銘柄ではあったが、人吉とは知らなんだ。 芋と比較すると、逆にクセがなさすぎか。
チャリで40分以上かけて行って、10分くらいで所用は済んだ。
桂川を越えたついでに河原町まで出て、チャリを市役所の裏の寺町の駐輪場に。
まだ上映まで時間があるので、腹ごしらえにドトールで軽食とカプチーノ。
原作で、ある意味、この作品の醍醐味を味わってしまっていたので、
なぞる作業に似て、原作との相違を感じてしまい、素直に入っていけなかった。
といって、作品を否定しているわけでもなく、
上映時間はあっという間だった。最後の主役脇役4人が出て来るシーンは良い。
見終えて、エスカレーターを下っていると、
前にいた夫婦の奥さんが旦那に講釈をしていたのが目についた。
奥さんの方は原作を読んでいて内容をしっかりと把握していたようなのだが、
旦那の方は完全に人間関係を掴めていなかったらしいのだ。
確かに、原作を読まなかったら内容を把握できただろうかと、
観ながら思ったが、どうだったんだろう。