前日に小生宅に泊まっていた、親藩的友人と7'43、桂を出て、
烏丸経由で京都駅へ。大阪から18切符で乗って来る、Yさんと改札の外で合流する。
この辺りが18切符の面倒臭いところ。長浜行きの新快速に乗る。
米原で乗り換えの時に、桜サポを見掛ける。
彼らは名古屋下車のはずだ。雪をかぶった伊吹山を見ながら、大垣へ。
大垣から豊橋まで快速。磐田サポがいた。
名古屋を通過しても、いまいち実感が湧かない。
三河に入って、少し掴めたような、そうでないような。
豊橋で乗り換え、さらに浜松で乗り換えると、やっと乗客にも磐田サポが見受けられ始め、
磐田近辺で一気に増え、アウェーの様相を呈し出した。
が、他のチームのサポーターのような激しさがなく、
それは静岡という土地柄のせいなのかは知らないが、
完全アウェーという厳しさとは懸け離れたものだった。
愛野駅を降りても、その印象は変わることはなかった。
スタジアム周辺も戦いの場というよりも、ファミリーのピクニック会場のようで、
終始和やかさに包まれていた。寧ろ、無理に気張った雰囲気がなく、好感が持てた。
エコパは、最寄り駅からもさほど遠くもなく、
トラックがあるにしては観客席からも良く見えた。
サッカー専用のスタジアムではないが、まあ悪くはない。
水谷、中村-金古-千代反田-アレックス、宮崎-布部-ホベルト-古賀、田中-グラウシオ。
キックオフから積極的に仕掛けたのは、我等が福岡。中盤で競り合いになった後の、
セカンドボールを尽く拾い、ペースを掴んだ。ボールを拾うと、すぐにトップの、
グラウシオか、田中に1回当て、サイドに振る、という具合に、順調な滑り出しを見せた。
一方の磐田は出足が鈍く、ボールを得るのが、DFラインで、攻める手立てを失い、
福岡のDF陣の裏を狙って、ロングボールを蹴り込む展開であった。
福岡のCKで、古賀の蹴ったボールに反応した金古のヘッドは惜しくも、
バーを叩いた。さらに、中盤で細かいパスから、グラウシオが中央突破し、
ゴール左から相手GKを見て、シュートを放つも、ポスト右を通過。
磐田は、カレンが個人技で裏を狙ったりするものの、連動性はまだない。
が、カウンターからカレンにエリア外からドフリーで撃たれたシュートが、
バーを叩き、肝を冷やした。
福岡が好機を生かせずに、次第に流れは磐田へ。
中盤で福岡のパスミスを奪い、ポストのカレンと西野に1回当て、中盤が押し上げられ出した。
そんな展開となり、嫌な予感が漂い出した時に、
右SB中村がドリブルで仕掛け、エリア真ん中でフリーだったグラウシオへ。
DF陣の集中が集まる中、ワンタッチで右へ振ると、磐田の3バックのスペースに宮崎が走り込み、
思い切りシュート。これが、相手DFの足に当たり、GK川口が反応できずに、ゴール。
先制した。これには、アウェイ側の人間は大興奮。
さらに終了間際に、エリアにドリブルで侵入したグラウシオにディフェンス2人が釣られ、
ヒールで後ろへ流したボールに左SBのアレックスがドフリーでシュート。
これもバーを叩き、前半を良い感じで終えた。
後半になると、さすがに磐田も出て来た。後半15分くらいまでは、膠着していたが、
それ以降は、福岡陣内で試合が展開された。磐田が中に放り込んだり、
ドリブルで突破し、それを福岡がなんとか防ぎ、クリアするも、
磐田の2次、3次攻撃が続く、という具合だった。
時間が経つにつれ、福岡の中盤のマークも遅れがちになり、
パス回しの大好きな磐田のやりたい放題になりつつあった。
おまけに、福岡は前線でボールをキープできるグラウシオが川島に代えられ
(後日負傷のためだったと判明)、自分達のボールもキープできずに苦しい時間が続いた。
宮崎に代わって入った久藤も本調子とは云えず、いつやられてもおかしくはなかったが、
GK水谷を始め、DF陣がなんとか防いでいた。
が、後半42分に、船谷にロングシュートを撃たれ、これは、CKに逃れられたが、
そのCKから、DF田中の右足に直接当てられ、誰もいないゴールのスペースに見事に決められ、
同点とされた。
同点に追い付いた勢いのままに磐田は攻め込んだが、相変わらず、パスの数に比べ、
シュートの数が少なく、得点は入らず、一方の福岡もカウンターから最後、
あわやというシーンを迎えかけたが、時すでに遅し、CKを取ったところで終了となった。
前半の予想以上の内容の良さにも関わらず、得点を1点しか取れなかったのが、
後々まで響いた。それでも、後半の一方的な内容からは、よく失点が1点で済んだとも云えるだろうし、
磐田のシュートの本数の少なさや連携の悪さにも助けられたとも云えよう。
Yさんと共に帰途に就く。元来た道を引き返すことになる。 愛野駅から、浜松で乗り換え、豊橋で乗り換えて、席を確保。 米原からも座れて、京都では大阪まで行く、Yさんに一旦改札を抜けてもらい、 そこで別れた。疲れた。
なぜか受け付けが当日に行わず、
前々日と前日にあるために、東山のみやこめっせまで行かねばならぬ羽目に。
面倒極まりない。当初は、二条駅にチャリを置いて地下鉄を利用する予定であったが、
天気も良く、暖かいので、節約のためもあってチャリで行くことにした。
五条通りを東上し、今日は川端通りを北上するのではなく、
そのまま直進し、東山通りを左折し、北上。
京都はチャリで通行するには道が狭い。歩道には観光客もいるから尚更。
みやこめっせにチャリを停め、受付を済ませる。
わざわざこれだけのために来たのでは、と思わせる程あっけない。
せっかくなので、3Fのスポンサーのブースを見物。
筋力測定に誘われたが、走力とは無関係であることが分ったので、
遠慮させてもらう。理屈っぽい質問をして印象が悪かっただろうと思う。
このまま帰るのでは何なので、
19時のBS対大宮戦にまで間に合えば良いという計算で、
すぐ横の府立図書館へ。欲しかった資料の一部を複写して、退散。
古くて男性的な外観とはうってかわって、中はモダンな作りで、
実に雰囲気が良かった。
東山通りを南下し、三条通りを西へ。BOを物色し、
川端通りを南下。四条通りで人の多さに辟易させられた。
五条通りを西へ右折し、帰途へと。
朝から雨。二条駅までチャリ。西大路を北上し、御池通りを東へ。
ちゃんと駐輪し、地下鉄へ。いかにも、というジャージを着た、
人達が入口に吸い込まれていく。始発駅なので余裕で座れ、東山まで。
大勢の人間が下車。みやこめっせヘ。早くも多くの人でごった返し、なんとか、
場所を狭いながらも確保する。着替えて、会場周辺でアップ。
小雨が降っているので、うんざりする。
軽く走って、アップを止め、ランシャツ、ランパンでスタートラインへ。
陸連登録のおかげで比較的前に位置できて嬉しい。
中には、それを無視した一般ランナーもいたが。
まず、車椅子の部がスタート。その3分後に、我々がスタート。
大きな大会だけあって、スタート直後はかなりの混雑。
道も狭くなるので余計に渋滞する。
そのせいで、ついつい飛ばしてしまう。
川端通りに出ると比較的走り易くはなったが、ペース以上のスピードで走っていたために、
きつくなった。なんとか、御池通りもスピードを落とさないように頑張ったが、
烏丸通りを北上し、京都御所を過ぎる辺りでは、早くもバテが来た。
しばらく無理をせず、マイペースに努める。
今出川を右折し、鴨川沿いを北上する。きつい。
北山通りを東へ。徐々にスピードが落ちて来た。
白川通りを北上し、若干傾斜が上がり出したところで、
少しずつながらペースが上がり出した。ここから、
国際会館の辺りにかけて沿道の応援が盛んだった。少しきついが、
やっと調子が上がって来た。コーンを回ってから、
やや疲れも感じたが、体が軽くなってきた。
少しずつ先行するランナーも抜き出した。
少し傾斜が下るので、スピードに乗れ、ペースは良い。
叡電のための高架はきつかったが、むしろ、ここからペースは上がった。
後は、白川通りを疾走。が、少しずつバテも来始めていた。
なんとか我慢の2文字で、維持して行く。
残り3kmくらいで前を走っていた女子ランナーをかわした。
しばらく付かれたが、お互いにきついところで、ここをこらえ、
振り切った。残り1kmになり、
いよいよきつくなった。丸太町通りから左折する辺りで、
前を行くランナーを2人かわし、ラストスパート。
ゴールまでの直線も疾走。なかなかの出来だった。
自己記録を2分以上も更新した。満足。
受付がスタート1時間前に締切られるために早々と家を出る羽目に。
淡路で乗り換え、南千里下車。ランナー臭い人が結構いた。
今日は、北風が強くて寒い。会場が公園のために野外で、待ち時間が実に寒い。
腹の調子も良くなく心配。開会式が始まったが、 参加せず、マイペースに準備する。
寒いので、グローブはもちろんアームウォーマーも装着。
政治家の宣伝なのか、挨拶の連続だったようだ。
しかも、大会の看板である、有森さんも来てないのか。
それからラジオ体操が始まった。しかも第2番まで。
久々に庶民レベルの大会に出たから、新鮮味もある。
まず、10kmの部が出発していった。10分後に我々、10マイル組も出発。
スタートは千里南公園を出てちょっと行った道路上。ざっと200人くらいはいるか。
沿道には付添いで来た応援の人達も。
付添いがいると最後の最後までコートとかを着ることが出来て羨ましい。
さてスタート。前から5〜6列目だったが、とにかく、前に出て、先頭集団のすぐ後ろを走る。
いったん北上し、左折し、坂を上がる。まだ先頭集団はちょい前という感じ。
橋を渡り、住宅地の中を東へ向う。3人の集団となり、ゆさぶって前へ行く。
1人は付いて来た。そのさっきから同じペースの横のランナーの肘に接触。
謝る。向うも手を上げて、"いえいえ"と云う仕草。
公園に入って行く。道が狭い。かなり呼吸がきつくなった。
並走するランナーに先を譲る。
先頭集団とはだいぶ離された。もう折り返して、元きた道を戻っていた。
それでも、まだ小生も10位以内のようで、ともかくきついが、
マイペースで走る。並走したランナーとは5mくらい差が付いたが、
住宅地を走るうちに追い付き、抜いた。再び、坂を下り、北上。
並走していたランナーは付いて来て、また並走。
20mくらい前に2人のランナーがいる。
おばちゃんが歩道は広いにも関わらず、車道を逆行して走り、
危うく前を行くランナーと対面し、そのランナーは立ち止まる羽目に。
おばちゃんが悪いのか、係員が注意しないのが悪いのか。
少し行って、左折し、循環器病センター前の道を北上する。
片側2車線の広い道で、沿道に人もほとんどいない程の殺風景で、おまけに向い風が強くしんどい。
が、次第に前を行く2人組との差も縮まりつつあったので、
こちらも漠然と走るだけでは、向い風もあってしんどいので、
少し無理をして前に喰らい付くことにする。
なんとか追い付くと、並走して来たランナーも一緒に付いて来た。
しばらく4人集団となったので、後ろに陣取り、前のランナーを風よけを使い、
様子見と同時に無理をした分を取り返すために小休止。
すると、1人が抜け出そうとするので、付いて行くことに。
4人のうち1人脱落した。ここでも無理をせず、3人のけつを行く。
と左折した所から傾斜がきつくなり、始めから並走して来たランナーがきつくなったようで、
脱落した。こちらもきつかったが、粘って付いて行くと、下り坂。
前のランナーとの距離も5mくらいに離れてしまった。
が、この下り坂を利用して飛ばしてみると、行けそうなので、
一気に差を詰め、かわし、抜き去った。しばらく下るので、
そのままのスピードで下る。キロ表示がないために、あと何km残っているか分らないが、
とにかく逃げる。しばらく住宅地を走っていると前との差も縮まって来た。
急傾斜の下り坂を利用して、一気に下るが、前もさる者。余り差は縮まらない。
50分という時計表示があり、後10分くらいでゴールかと思ったが、これが誤りだった。
ゴール後に気付いたのだが、これは10分前にスタートした10kmの部の時計だった。
ともかく、後10分と思い、懸命に前に追い付こうとするが、前も度々後ろを窺って来る。
後ろを気にするのは、かなりきつい証拠なのだが、こちらもこれ以上は無理。
徐々に差は縮まっているようにも見えるが、まだまだ20mくらいはあった。
やっと、会場の千里南公園というところで、なんと、有森さん登場。
大声で選手を叱咤激励。もうゴールだと思い、落ち掛けていたスピードが再び上がる。
有森さんと手のひらでタッチ。公園の入口で折り返すと、10マイルはまだ公園の中に入れない。
一気に疲れが来る。ガクーンとなったところで、再び、有森さんの大声。
思わず笑ってしまう。前のランナーもきつそう。
やっと公園に入るが、ゴールはまだ見えない。いったい、どこにゴールはあるんだ?
後、何km?ともかく、前を抜くのは無理そうなので、無理をせず、付いて行く。
と、やっとゴール。前のランナーとは10mを切っていたが、抜くのは厳しかった。
順位は6位だった。後ろから速いランナーが来ていたら、間違いなく抜かれていただろう。
とりあえず、着替え、閉会式に。各部門の1位のみ有森さんから賞品の受け渡しと握手。
閉会式が終わったところで駅へ向う。まだ走っている人はいた。
南千里駅から乗車し、往路を引き返す。
まだ家に籠るには時間が早いので、チャリで上羽と石見へ。
一旦、物集街道を南下し、向日市の寺戸で西へ。
チャリのギアが馬鹿になってしまっている(常に最軽・最遅)ので、
スピードの変化を付けられず、常に一生懸命こぐ必要があり、エネルギー効率も悪いし、きつい。
マラソン疲れもあってなんとか、寺戸の坂を登り切り、一気に下る。
まず、上羽地区へ。途中、上里の辺りを通過したが、城の気配を感じた。
まあ、勘に狂いはなかろう。多少、迷いながら上羽城跡へ。
民家裏の畑を通り抜けて行かねばならず、
怪しい人間ではないということをアピールして行くのは難しい。
もちろん、それは小生が怪しい人間であるからではない。
(それは『怪しい』の定義次第な気もしないでもないが。)
一番の手は、ここが上羽城跡ですか?とか云う質問をぶつけることだが、
わざとらしいのもどうだろうと思う。ともかく、
見え易く、邪魔にならない所にチャリを停め、そそくさと薮の中へ。
おじさんが畑で作業されていたが、声を掛ける気にもなれず、結局、開き直って、
どうどうと。城跡自体は、狭い範囲だったので、簡単に撮影終了。
次の石見地区へ。
善峰川のすぐ南側の民家の裏手が石見城跡で、
裏から行けると本にあるので、その通りに。
裏の畑で作業されている人がいたので、
怪しい人間でないことを理解してもらうために、
会釈をし、おもむろにカメラを取り出して、まず、泥棒でないことを示す。
また、それは、盗撮が目的でないことも同時に証明することにもなる。
ともかく、それらのパフォーマンスを終えて、城跡へ入り込んだ。
土塁を越えると、2mくらいの堀があって、これには想定外で、
嬉嬉としてうろちょろと。だが、すぐ近くに家があるので、
余り近付けず、遠慮がちに動き周り、撮影終了。
なかなか来た甲斐もあった。満足して、再び上里を通過して、帰途に就く。
京阪京都バスで一路、老ノ坂へ。
自宅から近いことは分っていたが、峠付近の余りの薄暗さにやや躊躇いを感じ、
積極的に足を向ける気にならなかったが、そろそろネタも尽き出し、
重たい腰を上げるかという心持ちである。老ノ坂で下車し、霊園方面に上がってみる。
完全に人の手が入ってしまって北側は墓と住宅地しかないようだ。
昔の峠方向に道があるかどうかは知らないが、向かってみる。
送電線の麓は跡なのかどうかははっきりしない。
小径があるので南下してみる。これといった、確証が持てず、満足できない。
一旦、旧峠へ下ってみる。亀岡市史の縄張り図の通りではあるが、訴えて来るものを余り感じない。
ある程度、納得の出来る物を撮影し、うろちょろするうちに、
薮で足を滑らし、段差で強かに顎を撃った。一瞬、意識が飛んだような痛みだったが、
近くに墓参りの人達もいたので、なんでもない振りをして、そこを去る。
おかげで、顎付近から出血。軽傷で済んで良かったのかもしれない。
遺構がよく残っていると云われる、曲輪跡に行ってみるが、
墓地の拡大のためか、手前部分がじならしされ、墓石とかが置かれたままの状態で、
土塁は消滅してしまったようだ。未だ手が入ってない曲輪跡もはっきりしない。
不完全燃焼のままバス停に下り、亀岡駅まで出る。
一旦、京都学園大学でバスを乗り換え、笑路へ。接続の悪い便なのでなかなか行きにくい。
一気に笑路まで行ったが、歩くにはしてはちょっときつかったか。
2万5千を持っておらず、しかも標識があるという情報にも振り回され、
行き過ぎてしまい、引き返し、それらしい方向に行く。
と畑で作業中のおじさんがいたので、聞いてみると、果たして、目的地であることを知った。
少し行ってみると確かに標識も出ていた。
歩く登ると結構な堀切跡に出た。とりあえず、本丸とは反対方向の方へ。
お楽しみは後に作戦。反対方向はほとんど見所もなく無駄だった。
仕切り直して、いざ本丸へ。
堀切から登ると、少し薮化しているものの、遺構はよく残っている。
虎口が南北に2箇所もあるし、南の物はしかも枡形。
一方この曲輪から南西に行った曲輪はやや古い形式を残している。
ある程度納得したところで下山。
道路まで出て、そのまま亀山市街地方向へ下り法貴山城へ行くか迷ったが、
せっかくなんで、犬甘野城付近を探ることにした。
2kmくらい歩き、下条砦に登ってみようとするが、動物や人間が入らないように囲ってあり、
断念する。すぐ近くの下条館跡は入って良いのか分らないが、
とりあえず、堀の跡を見て、満足する。
次に目的の犬甘野城へ少し歩く。山自体は見えているが、
入口らしき箇所に行ってみるも、ここも囲ってあり、入れない雰囲気。
人に聞いたり、他の道を探したが、きっちりと封鎖されて入れない。
なくなく諦め、法貴山を目指すことにする。
亀山市内へしばらく歩き、登山道に入るが、法貴山自体への道はなく、
とりあえず、道を下って行く。完全に麓に出てしまい、
まず、麓の法貴館跡を見ることに。
館跡らしき箇所に出てみると、確かに曲輪らしい段もあるが、
熊用のサイズの檻があって、しかも妙に獣臭く、巨大な糞もあった。
さすがに身の危険を感じ、そそくさと森の外へ出る。
関西はこれだから恐い。
ここも法貴山も諦めざるをえなくなり、
犬飼城へ。
少し歩き、犬飼天満宮へ。どこかから上へ登れるだろうという勘の下、
墓地への道を登る。右手の方に急斜面の谷があってなんとか登れそう。
他に道もなさそうなので一気に登ってしまう。
尾根に出ると頂上方向へかすかに道もあり、それに従って行くと、
頂きに出て、東の方へ行くと、堀切が残っていて、感激。
しばらく歩き回ったところで、
東に下った所にある小さな祠から麓の方へ道が続いていることに気が付き、
騙されたつもりで下ってみるかと、目印を頼りに下って行く。
途中まではしっかりと目印があったが、突然消えた。
引き返し探すが、見付からない。
麓まではあと少しなので、強引に下ってみる。
と、目の前にフェンスがあり、とりあえず、人家に出てほっとした。
が、フェンスの出口がないようで、とりあえず、右へ行ってみるが、
川に出てしまい、渡れそうにもない。引き返して左へ行ってみるが、
出られそうにもない。しばらく行くと、
民家の庭に出るための出入口?があり、拝借させてもらい、
中へ入り、すぐに門外?に出る。犬がどこか遠い所で吠えていて、
ドーベルマンだったらと、嫌な想像もしたが、難なく市井に出られて生きた心地がした。
学園大学まで歩き、亀岡駅まで戻り、バスを乗り換え、帰宅。
四条烏丸経由で地下鉄烏丸線で、松ヶ崎下車。
2週間前のシティハーフで走った、北山通りが懐しい。
この辺りは、疲れが出て、なかだるみでスピードが落ちた辺りだ。
「法」の字で有名な、東山に登る。「妙」の字の西山のすぐ東側に相当する。
小学校の裏辺りと見当を付けて行くと、登り道があり、簡単に尾根道に出た。
散歩している人もいた。とりあえず、東の方に向う。
電波塔のある付近が、その城址なのかとうろついてみたが、気配を感じない。
まだ東の方へ道はあるようなので行ってみると、
堀切が残っていて、さらに地元の小学生によって作られた、「城山」の山頂を記した札があった。
細長い尾根で、余り防御に優れるとは思えない。遺構も余り顕著ではない。
このまま、北斜面を下っても、次の予定地である一乗寺の方向から離れてしまうので、
南下し、分岐から南斜面を下ってみる。間違った道でも標高が低いので、十分やり直しは効く。
しばらくすると、神社の境内に出た。
白雲稲荷神社らしい。北山通りに再び出て、高野川を渡り、修学院駅の前を通り、白川通りへ。
鷺森神社の中を通って、曼殊院へ。
突き当たりを右(南)に行き、東へしばらく行くと、しっかり比叡山への看板もあり、
車止めがあった。ここを通って、川沿いに登り瓜生山への分岐をやり過ごし、少しずつ高度を上げる。
見晴しの良い地点まで出てしばらく行くと、京都一周トレイルと合流した。
目的の一乗寺城はすぐ近くだが、果たしてどこか分るかどうか。
と、道の左側の林にテープがあるので、これだと思い、登ってみると、曲輪の連続群で、
尾根に出ると、一人興奮の坩堝状態。かなり明瞭に残っていた。
古道らしき道を下ってみるが、麓まで続いているよう。
元の位置に戻り、本丸らしき箇所に出て、土塁と堀切に感動。
古道をさきほどの逆方向に進んで行くと、『てんこ山』の三角点に到着。
ここでおにぎりを食し、来た道を引き返す。良い物を見せてもらった。
再び一周トレイルに入り、しばらく行くと、山の上の方でイノシシが走っていた。
今度は往路の一乗寺の方へ下らずに、瓜生山方向へ。
トレイルのコースなので道が良く、安心して行ける。
しばらく行くと東山新城で地図で確認しながら慎重に歩を進めると、
遺構らしき臭いがして来て、程なく北砦跡という看板もある見晴しの良いエリアへ。
ここを下り、三叉路に出たところで、本丸と思しき曲輪が道からはずれた所にあるので、
人の踏み跡のある道を強引に登って行くと、確かに曲輪が残っていた。
さ程広くもなく、感慨に浸るわけでもなく、下り、瓜生山頂上へ。
勝軍山地蔵のある頂上に着き、早速カップラーメンを食べるために、
バーナーでお湯を沸かす。この優越感が実に堪らない。横では3人衆が冷えた弁当を食べている中、
シーフード味をすする。やはり温かい物は良い。食い終え、ここも城址なので、
林や薮をうろちょろする。撮影にもいまいち。
地蔵谷を下り、北白河に出た。
今度は銀閣寺裏の中尾城を目指して、銀閣寺道へ。
観光客だらけでうんざりさせられる。修学旅行生の制服もピンからキリまでで、
見ていてあれは着たくはないなと哀れんでしまう学校もある。
観光客用の店を通り過ぎ、銀閣寺の門の手前を左に行くと八神社があり、その手前を右へ行くと、
大文字山への登山道で昼過でもあるので、多くの人達が下りて来ていた。
今から登るのかと聞かれた。ともかく登り始める。
中尾城への道は見付からないが、城の水というのが登山道で湧いていて飲んでみる。
よく整備された道で登山客も本当に多い。
結局中尾城への道も見付からぬままに、『大』の字に出てしまった。ブロックがあるだけで、
面白みもない。ただ景色が良いので幾人か、座って景色を眺めている。
さらに登って行くが、関西は九州と違って山で看板が少なく、大文字の山頂がどこなのかもよく分らない。
中尾城へは手元の2万5千では無理そうなので諦める。
道で土木作業をしている人達がいたので、行って良いのか聞いてみたところ、
良いとのことで恐縮して登る。道を確認しながらだが、自分の位置が分らない。
後ろから来た人に聞いてみたら、大文字の頂上はこの先らしい。
しばらく行くと、大文字山すなわち如意ヶ岳城の遺構があって道から反れると、
先程の人がこっちだよと教えてくれる。
「そんなの分っているよ、遺構を見てるだけだ、邪魔しないでそっとしてくれ」とも言えず、
「分ってます」とだけ言っておく。
頂上をいったん通り過ぎしばらく行くと土塁があって、さらに先も遺構らしさ一杯。
ある程度撮影し、山頂に戻り、おにぎりを食べる。
横でバーナーで温かいラーメンを食べている人がいて劣等感を感じる。
少し肌寒いので正午過ぎに食べた頃よりも効果はありそう。
食後に持参の縄張り図を参考に再び遺構をうろちょろと。
それだけの甲斐はあって遺構はあるが、薮化しているのが残念なところ。
一通り満足したので、日没も考え、蹴上の方へ下る。
人気(ひとけ)もだいぶ減り、少し不安になる。しばらく歩き続け、
手元の地図ではそろそろ東岩倉城かなと意識し出すと、
普通に見たのでは分らないが、「おやっ」と反射的に立ち止まり戻ってみる。
と、やはり、1mくらいの堀らしき地点が数ヶ所あり、薮化していて、完全に城跡とは云いかねるものの、
おそらく、そうだろうと自分を納得させる。
日没も近いので蹴上へ下って行く。
と、日向大神宮に出た。参拝して蹴上の発電所の辺りに出て、地下鉄東西線・烏丸線・阪急で帰宅。