嵐山に向けてチャリで北上。
意外に近くて、嵐山(382m)への登り口を探せども見付からない。
露天の茶店の人に聞いてみるが、ない、とそっけのない返事。
モンキーパークに行ってみるも、立ち入り禁止だから登れないとの、
これまたそっけのない返事。
とりあえず嵐山公園にチャリを置いて、法輪寺に入り、
聞いてみると、昔は道があったが、今は無理との詳しい話。
仕方なく、断念することにして、
松尾大社にでも参拝して引き上げることにした。
寺がやたらと多い、京都では迂闊に道なき道を登る、
強引法も通用しないのかもと悟った。
松尾大社は、観光客も結構いて、適当に参拝して、
チャリで引き上げようとした時に、
そこを横切った、3人の壮年女性が、
今から登りますよと主張せんばかりの格好でストックを持って、
どこかへ行こうしていた。
ひょっとして、と思い、話を聞いてみると、嵐山には登れるとのこと。
しかも、そこへ行くというので、途中まで道を教えてもらうことになり、
とりあえず、住宅地の中を歩き、登山口まで同行することに。
関西の山について、軽く教えてもらい、愛宕山の詳細な地図もいただく。
登山口で3人衆と別れ、登り出すやいなやいきなり道を間違った。
しばらく登ると、京都一周トレイルの看板。
なかなか面白そうなコースらしい。
トレイルは無視して、松尾山へ。
北西方向にのみ展望が開ける。すぐに嵐山へ。
道が予想以上に良く。実に気持ち良い。まさか、引越して、
4、5日で山に登るとは思わなかった。
しばらく行くと、嵐山への分岐で、頂上へ。
頂上は若干荒れ気味で、跡が分らない。
頂上から1つ下った辺りは、曲輪の痕跡が残っていた。
アブか何かがしつこくて、十分に休息も出来ないままに、
元来た道を引き返す。と、先程の3人衆。
京都市内の店の情報などを教えてもらい、挨拶して別れる。
松尾山を経て、トレイルからの分岐に出た所で、中年の3人衆に遭遇。
軽く話すが、関西の人は乗りが良いので、話し甲斐がある。
そのまま松尾大社に下らずに、トレイルを苔寺に向かう。
まず迷うことのない、良い道で、気分良く、
苔寺の近くまで自然歩道で下る。そこからチャリを置いた松尾大社まで、
アスファルトを戻る。チャリで帰宅。
阪急で河原町に出て、金券ショップの充実振りに驚く。
上手く活用したいもの。
2万5千などを購入し、帰宅。
意外に自宅から市外はすぐで、事前に調べていた向日市にある、 物集女城跡へチャリで。住宅地化されていたが、向日市は結構遺跡等、文化財 にも力を注いでいるらしく、それを示す指示板など親切だ。 明日は、東向日からバスで善峰まで行くつもりなので、 東向日駅周辺を偵察しておく。特に自転車置き場等を。
昨日の下見を元に家を出たが、やはり早く着きすぎた。
小雨がぱらつくのが気になる。善峰寺行きのバスに乗り、終点で下車。
この辺りまで来ると観光客もそんなにはおらず、ほっとさせられる。
まず、釈迦岳を登るつもりで、車道(林道)をひたすら登っていると、
どうやら釈迦岳への分岐を通り過ぎたようで、仕方なく、
東海自然歩道に従い、遠回りして行くことにする。
熊に注意という看板もあり、早くもアウェーに来た心持ちすらする。
人の気配のない道に多少びびりながらも、登って行くと、
釈迦岳とポンポン山への分岐に出て、そこで弁当を広げているグループがいた。
とりあえず、釈迦岳を目指す。と、ちょっと行くと、頂上だった。人は誰もいない。
おにぎりを食し、すぐに元来た道をポンポン山に向う。
大した傾斜もなく、意外に簡単にポンポン山に到着。天気が良くないせいか、
展望はいまいち。ここでは、数グループ休憩していた。マウンテンバイクも人もいる。
おにぎりを1つ食し、すぐに高槻側(本山寺)に下る。
こちら側は結構距離もあり、また登って来る人も多かった。こちらがメインコースか。
本山寺に出て、しばらく下り、車道を通らずに下りたい。
2万5千を持たないが、道標くらいあるだろうとタカをくくっていたのが、誤りだった。
登って来る人に道を確認したものの、それから先も分岐だらけで、
結局道を誤り、林道を下って行くと、新しげな墓場に到着。
多少パニックになりつつ、下ってみると、人がいたので聞いてみると、
なんとか麓に下れそうなので、そのまま行くと、予定では通るはずのなかった、
神峰山寺へ。せっかくなので、中を見て、車道を下って行くと、予定通り、
幹線に出て、まだ時間も余っているので、三好山に向う。
足に疲労が来つつある。摂津峡との分岐が来たが、曲がるか迷い、結局高槻方向に下ることに。
しばらく住宅地が続くので、そのままバス道を下り、商店街らしき場所で右折(西へ)。
地図を持たないこおが悔やまれる。
運良く、目的地方向に向ってくれたが、三好山への道が分らない。
しばらく行くと、摂津峡になり、農作業中のおじさんに「三好山」はどこか?と聞いたが、
にべもなく、そんな山は知らんと。城跡があると言えば、城山か、と、
道を教えてもらえた。老人介護施設の脇を抜け、北上すると、
確かに看板が。そのまま行くが、薮化して荒れ気味。
とりあえず、目的地は判明したので、後は突き進むのみ。
頂上まで行き、あちらこちらを見て、下る。
総じて云えば、荒れ気味で小虫が多く、居心地は悪かった。
麓まで下り、バスで高槻まで下る。
阪急で嵐山まで行き、渡月橋を渡って、
嵐山バス停でしばらくバスを待っていると、
タクシー運転手が来て、バス停で待っている5人で1000円で良いから、
清滝まで乗らないかと交渉を持ち掛けて来た。
5人とも目的地は、どうやら清滝なので、
直接交渉した人が乗り気だったのにつられ、同乗することに。
さすが関西という印象。
小生は見るからに最年少だったが、
体のサイズで運転手に前に座るように指示される。
後ろは窮屈に4人で座ることになるわけだが、
恐縮しながらも、その言葉に喜んで従う。
清滝へは旧線路跡を行くことになる。
特に清滝トンネルはその傾向が見られるが、ここは「出る」ことで有名らしい。
が、タクシーの運転手は完全否定していた。トンネルを抜けると、そこは清滝で、
ちょうど嵐山のバスの出発時刻に、清滝に着いた。
料金を各自払い、解散。先々週に貰った愛宕山近辺の詳細な地図をコピーして持って来たが、
結局、道も確認しないまま、前を行く人の跡を着いて行く。橋を渡り、
まずメインコースから登ることにする。しばらく階段を登り、やや傾斜のある坂を登って行く。
ともかく、前に見える人を尽く抜いていく。調子は良い。
この山は京都市内でも人気の山のようで、人は多い。
休憩なしで、山頂まで辿り着き、参拝する。
ついでに、敬老の日近傍でもあるので、祖母用にお守りを購入。
階段を下った休憩所で、おにぎりを1つ食し、地蔵山へ向う。
急に、人気(ひとけ)が失せ、道も始めこそ林道だったが、
分岐から入ると蜘蛛の巣もかかっていたりと、ギャップが激しい。
地蔵山まで分岐からは誰に会わないで着いた。エネルギー補給し、しばらく休みたかったが、
小虫が欝陶しく、すぐに出立する。やや傾斜のある下り道で、
やっと人に会う。さらに、芦見峠で遭遇すた、、気さくなおじさんと会話が弾む。
さすが関西やなと、そのノリに関心しながらも、地図を一緒に広げて、
いろいろと話す。ともかく愛宕山に向うおじさんと別れて、
三頭(みつづこ)山へ向う。しょっぱなから道が分岐し、標識もいまいち中途半端で、
迷ったところで、運良く前方からこちらへ下りてくる人がいた。
聞いてみて、正しい道を教わる、やや荒れ気味な道をしばらく行くと、
眺望の開けない三頭山。軽く休憩し、芦見峠手前の分岐に引き返す。
分岐から、竜ヶ岳へ登るために南東方向への道を行く。
蜘蛛の巣が張っていたりと、やや寂しい道であったが、そんなに悪くない道だと思っていたら、
道が倒木で塞がれていた。なんとか潜れば行けるくらいで余裕だなと感じていると、
さらに前方には、道を完全に塞いだ倒木群。
倒木が斜面を走り出さないことを期待しつつ、倒木に完全に体重を掛け、乗っかかって、
なんとかクリア。やれやれ。そこをやり過ごすと、
左から渓流が現われ、沢沿いの道を行くことになった。
そのせいで、やや道が不鮮明になり、不安に駆られながらも、ビニールテープのお蔭で、
林道へと出た。その林道をしばらく上流へと登って行くと、
登山道入口へと出、再び奥深い道へと入る。
欝蒼とした針葉樹林を渓流と交差するようにただただ進むと、
渓流が分岐した所で、竜ヶ岳へ、の小さな標識。
その標識を信じて渓流を渡り、急斜面を登って行く。
登りこそ道を迷わないが、下りはどうだろうと思う。
ビニールテープは、ある程度の間隔ではあるが、慎重さを求められるだろう。
ともかく、息もたえだえになりつつ、登り詰めると、狭い竜ヶ岳山頂。
エネルギー補給し、しばらく休みたかったが、小虫がいて、出発をせかされた。
再び、愛宕山へと縦走していると、フラットな湿地帯に出て、道を見失った。
ややパニックになり、うろちょろと確認をしているとビニールテープを発見。
九死に一生を得た。道を登って行くと、芦見峠で遭遇したおじさんと再会。
明日、竜ヶ岳へ行くと言っていたのにと思っていたら、愛宕山へ向っているとのこと。
話を聞けば、地蔵山から愛宕山への途中で反射板の辺りで間違って谷へ下ってしまい、
竜ヶ岳への尾根に出たらしい。
さらに別の道からも別の2人組みも間違って登って来た。
スピードは落ちるものの、おじさんと愛宕山を目指す。
とにかくよくしゃべる人だった。が、重い荷物を背負っているせいか、しだいに間が離れ、
こちらも自分のペースで先に行き、分岐で待つことにした。
別に待つ必要はなかったはずが、旅は道連れとも云うし、
待って、詳細な地図を、今日は愛宕山でテント泊し、
明日もこの辺りを歩くというおじさんに渡しておく。
愛宕山の三角点に登り、展望を楽しんだ後、先に行ってくれと、おじさんと別れる。
帰りは、メインコースを避け、月輪寺経由で下る。
14時過ぎというのに、まだ登って来る人は多い。道は、岩がゴツゴツしていて、
結構急傾斜でつま先に負担が掛かる。
月輪寺を経由し、おにぎりを1つ歩きながら食べ、つま先に負担をかけながら、
高度を下げて行く。登山道入口へ出ると、京都一周トレイルと合流し、アスファルトをただ下る。
つま先が痛い。しばらく歩くと清滝の登山道入口でバス停に出て、
バスで嵐山へ。今度はタクシーもいなかったが、タクシーも帰りの登山客は、
汗まみれで臭いことを知ってのことだろう。
嵐山に出ると、観光客だらけで、その人の多さ、歩くスピードの遅さにうんざりさせられ、
足早に嵐山駅へと急いだ。観光地に住む人間の辛さを早々に味わえた。
嵯峨嵐山から山陰線に乗るために早朝から起床し、阪急で嵐山まで。
山家で下車し、城址公園を探し、少し迷い、勘を頼りに由良川を渡ると看板もあり、到着。
公園の方は、完全に公園化されていて、いまいち。
山の方に屋敷跡があるらしいので、登ってみると、予想以上の遺構振りに、興奮。
とにかく歩き回り、満足したところで下り、次の列車とのかね合いもあり、駅へと引き返す。
福知山へ出る。
福知山は予想以上に小さな町だった。とりあえず、福知山城は後回しにして、
由良川を渡り、猪崎へ。現地に行くまでは、遺構が分るかどうか心配な所だったが、
最低限の範囲で公園化された理想的な遺跡であった。
薮化していることを除けば。せっかくの解説の看板が薮で隠れてしまっていて、
なんとか払いのけて読めるくらいだった。公園化したは良いが、
その後管理してませんよ、という具合だったが、遺構はよく残っていて、ある程度満足できた。
由良川を渡り、福知山城へ。久々に金を払って城を見る気もする。
丹波では、一概に、明智光秀の人気が高いことに驚かされる。
治世の面で良い武将だったんだろう。駅に戻り、帰途に就く。
四条大宮から周山行きのJRバスに乗るが、
バス内はスポーツクラブの幼稚園児や小学生でが一杯乗っていて、
しばらく座れない羽目に。市内の観光地を通り過ぎる毎に、
少しずつ人間は減少し、席を得た。ともかく、周山は遠く道は険しいので、
立ったままバスに揺られるのはしんどい。最近、京北町は京都市に吸収されたようだが、
確かに京都市とは全く風土が違う。本当は合併なんかしたくなかっただろうなあと想像される。
とりあえず、ウッディー京北に寄り、地図があるらしいので戴くことにする。
周山駅から北へちょっと行った所を左折し、登山道に入る。熊に会わないことを祈る。
つづら折りの道を、徐々に高度を上げて行くと周山城の大手口へ。
本丸自体は意図的に破壊されたようで、画像としてはいまいち。
黒尾山へ縦走することにした。本丸から西へ行くと、かなりの高低差を設けて曲輪が続き、
必ずといって良い程、堀切を設けてある。
ともかく、神経質なくらいに丁寧な縄張りで、明智光秀の性格が窺い知れる。
本能寺で信長が寄せ手が明智光秀であることを知った時に、
逃げることを諦めたことも納得できるわけだ。
遺構の連続に興奮しつつ黒尾山へと足を進めると、突然林道が出現し、
遺構は完全に消えてしまう。困ったもんだ。
人気(ひとけ)のない道を進むと、イノシシ用にしてはデカいトラップのゲージがあった。
ひょっとすると熊用か?恐れ戦きながらトレースを登って行くと、
視界の開けない黒尾山に到着。おにぎりを1つ食し、引き返す。
明智光秀の徹底振りを堪能しつつ、本丸まで戻り、京北の町へ下る。
せっかく京北に来て、このまま引き返すのもなんだな、ということで、
羽田酒造で、
吟醸酒(300ml)を購入し、帰途に就く。
以前から行ってみたいと思っていたエリアへ進出することに。
西大路にチャリを置き、貴生川まで。草津で乗り換え、貴生川に来たまでは良かったが、
西大路駅でSUICAに無駄にチャージしてしまったので、
近江鉄道で水口まで行く予定が乗り放題切符を買う金がなく、
日祝でも手数料の掛からない郵便局を求めながら、水口まで歩く羽目になった。
水口市街地に近付くと、図ったかのように郵便局があり、財布を温められた。
とりあえず、水口城に入り、周りを1周し、旧東海道を歩いて、古城山へ。
若干荒れ気味の道を登る。公園化されていて、遺構が損なわれているようで、
残念。東側の石垣までは道が薮化し崩れていて、強引に漕いで、撮影。
ここは、曲輪の跡や堀の跡などはしっかり残っていた。そのまま下り、
近江鉄道水口駅から乗り、日野下車。
妙に風が強く、うすら寒い。長袖を装着。
日野の市街地までひたすら歩く。予想以上に距離があって疲れたが、
まず、ダム横の日野城を見て、せっかくなので、もう一踏ん張りってことで、
さらに奥へ進み、音羽城へ。音羽城は若干荒れ気味だったが、
遺構がしっかりと残っていて、実に歩いただけの価値のある所だった。
駅までの長い距離を歩き、小腹が空いたので、
迷った挙句に駅前の土産屋に入り、カステラの中に餅入りの菓子(名前を失念)を1つだけ購入した。
愛想の良かった店のおばちゃんが明らかにがっかりしていたのが、分った。電車の待ち時間を利用し、
早速食べてみたが、結構いけた。もう1つ食べたいくらいだった。
八日市で八日市線に乗り換え、近江八幡に出た。
ここまでは、良かったが、人身事故があったらしく、電車が止まっていた。
そんなに大幅に時間も掛かることなく動き出し、帰宅できた。