常陸から転封となった佐竹家の本城として初代義宣により築城された。
現在は千秋公園となっている。大手門が復元され、櫓が1つ立つ。
石塁を使わず土塁で築かれた。
小野寺氏により築城された。関ケ原の戦いの後、小野寺氏は流され、
常陸から転封となった佐竹家の支城となった。
家臣の伊達氏、須田氏、戸村氏と城代が代わった。
幕末に勤皇派だった佐竹氏に近辺の佐幕派(仙台・庄内藩)が攻め込み落城した。
本丸跡には神社がひっそりと立つ。
それに引き換え、観光用の天守閣が幅を効かす。
鎌倉時代に小野寺氏により築城された。
江戸期の佐竹家の久保田転封に伴い、佐竹南家が入り、
一国一城令により廃城となった。
4月上旬でも、雪のために本丸まで行けなかった。
それでも曲輪の跡などは、しっかりと残る。
戸沢氏の居城。それ以前から山城であったという。
佐竹家家臣芦名氏が江戸期に入り、一国一城令で破却。
現在は公園となっている。平山城の遺構がそのまま残っている。
また角館の町も武家屋敷が保存されて趣き深い。
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